二年連続M-1決勝に出場を果たし、
10月2日放送の「キングオブコント2021」にも出場した
今注目のお笑いコンビのニューヨーク。
今回はツッコミ担当の屋敷裕政さんが
実は高学歴芸人で元はテレビ局のADだった
と話題ですので調べてみました。
吉本興業所属のニューヨークは2010年結成で
同期には鬼越トマホークやおかずクラブがいます。
コントも漫才もこなす器用さとボケ担当の嶋佐さんとツッコミ担当屋敷さん。
どちらもネタを書けるという強みがあり、
バラエティ番組よりネタで勝負の実力派のイメージが強いですよね。
そんな舞台や劇場での叩き上げのイメージがあるニューヨークですが、
ツッコミの屋敷さんを大学や意外な過去が判明しましたので是非、ご覧ください。
ニューヨーク屋敷裕政の大学は同志社?高校はどこ?

ニューヨーク屋敷の高校大学はどこ?
ニューヨーク屋敷さんは三重県の出身で、
高校は三重県立木本高等学校で、
偏差値50-53ぐらいの高校に通っていました。

学生時代は空手をやっており、
東海大会で優勝するほどの腕前だったんだとか。
高校卒業後は関西の名門私立である
同志社大学(文学部社会学科メディア学科)、
偏差値63に進学しております。

調べたところ、一般入試で入学していますので、
高校の偏差値から考えてもかなり努力されて、
高い学力をお持ちだったと思われます。
芸人への憧れはあったが、TVマンへの道を目指していた
ちなみに同大学には一つ上にカズレーザーさん、
同期にはさらば青春の光の東ブクロさんが在籍していました。
その二人が所属していたお笑いサークルもあったそうですが、
そこには所属せずに、モテそうだという理由で
テニスサークルに入っていたそうですが、
全くモテなかったそうです。
当時から芸人に対して憧れはあったようですが、
芸人になるといのはどこか諦めていたようで、
本気で芸人になろうとは思っていなかったそうです。
インタビューではこのように語っています。
もともとテレビ関係の仕事がしたくて、大学ではメディア学を専攻していました。在学中から芸人になりたいという想いはあったけれど、現実的じゃないな、と諦めていましたね。無理言って私立に通わせてもらったので、母親に申し訳ない気持ちが大きかったかな。
メンズノンノ 引用
私立の有名大学に行ったからこその葛藤ですよね。
安定した道を捨てて芸人という険しい道を歩むのは
勇気がいるのでとても気持ちは分かります。
ニューヨーク屋敷裕政の学生時代のエピソードは?

元ヤンを讃えるのは許さない?学生時代の苦い思い出
学生時代にはお笑いへの熱い思いを秘めつつ、
文武両道な青春時代を送っていた屋敷さんです。
そんな屋敷さんが深夜放送『俺の持論』(テレビ朝日系)にて
「元ヤンをたたえるのは絶対禁止」という持論を展開しておりました。
その背景にはどうやら学生時代のエピソードが
関わっているそうなので調べてみました。
屋敷さんは15歳の時に
フォークデュオの「19」に憧れていたらしく、
友達とフォークデュオを組んでいたそうです。
その名も「15(いちご)」だったらしいです。
そのままで可愛らしい名前のフォークソングデュオですが、
ある日路上ライブをしていると不良達に絡まれたそうです。
それがきっかけでデュオは解散したという苦い青春の1ページがあったとのこと。
同番組内では
「更生して教師になっても1ミリもスゴくない。普通に勉強して真面目に生きて教師になったヤツが一番えらい」と断言。
「なんで回り道をして戻ってきたヤツが最短距離のヤツより偉いと思われるのか」
と熱く持論を展開していました。
恐らく学生時代の苦い経験からこういう持論が生まれたんですね。
交際18年!?高校時代から続く彼女とのエピソード
ただ苦い思い出ばかりではなく、華やかなエピソードもあります。
TV番組でも度々話されていて話題になっている
交際18年目になる彼女「まみちゃん」との出会いも
そんな高校時代だったのです。
屋敷さんとまみちゃんの出会いは高校二年生の時だったそうです。
仲の良い女性友達の紹介で知り合った二人は
大学進学を機に一度分かれたこともあったそうですが、
見事復縁を果たして今に至ります。
現在は同棲中だそうですよ。

まみちゃんはよく記念日やバレンタインなどで
パンツをプレゼントしてれたそうです。
そして屋敷さんは今でもここぞというときは
その勝負パンツをはいて舞台に立つんだそうです。
学生時代から続く関係性でとても素敵で羨ましいエピソードですね。
ニューヨーク屋敷裕政は元AD!卒業後はテレビ局に就職

卒業後は芸人ではなく、TV局へ就職
そして、屋敷さんといえば出身大学だけでなく、
芸人になる前の職業についても
Twitterやネットで話題となっておりました。
先ほどふれましたが、屋敷さんは芸人に対する憧れは
持っていたものの現実的に考えて諦めていました。
しかし、就職活動の中で一番興味のある
テレビバラエティの世界にADとして飛び込むことになりました。
そこから屋敷さんは一年ほどADとして働いたのですが、
担当していた番組は「ネプリーグ」や「鉄腕ダッシュ」
などの有名番組だったそうです。
学生時代も終わり、仕事をしていくことに
ある程度の厳しさは覚悟していた屋敷さんでしたが、
ADの仕事は想像を絶する過酷さだったそうです。
「鉄腕ダッシュ」のロケでは5日間家に帰れず睡眠時間もほぼなし、
同期ADは一週間家に帰れなかったりなどが普通だったんだとか。
当然毎日のように怒られていて、
大叱責された上司の名前を見たり聞いたりしただけで
恐怖が蘇ってきていたそうです。
ADから芸人になるきっかけとは?
そんな過酷なADから芸人へ転身したきっかけは
個室ビデオで見た一枚のDVDだったそうです。
当時、厳しいながらも
同期のAD仲間と支え合いながら仕事をこなしていたそうです。
そんな多忙な中、仕事の空き時間に
個室ビデオに行くのが楽しみだったそうですが、
そこで見たDVDが屋敷さんに大きな転機を与えたそうです。
その時の事をインタビューでこう振り返っています。
M-1グランプリの舞台裏を集めたDisc2を観ていて。そうしたら急に涙が溢れてきちゃって。「あかん、俺はこっち側に行きたい!」と思ったんです。
https://mainichi.doda.jp/article/2019/11/28/1749.html
そして本当にやりたいことが芸人だったんだと
再確認したその三日後には辞表を出して、
ADを辞めていたそうです。
まとめ
さて、今回は人気お笑いコンビのツッコミ担当の屋敷さんのことについてまとめてみました。
普段は芸人として活躍している姿しか見ていませんが、そんなTVで見る姿からは想像できないほど真面目で泥臭い努力もできる素敵な方なんだと分かりました。
学生時代から勉強やスポーツに打ち込みながら彼女を大切にして、大人になってからもやりたいことに向かって正直に生きるニューヨーク屋敷さんの今後の活躍が楽しみですね。
それではご覧いただきありがとうございました。





