バラエティタレントの山田邦子さん。
かつては、テレビで見ない日はないというくらい、
レギュラー番組を抱えていましたね。
ところが、近年ではめっきり見なくなりました。
今回はそんな山田邦子さんにスポットをあてて、
山田邦子のテレビ出演が少ない?
山田邦子がテレビでない理由4つ!不倫・略奪婚・暴言などヤバすぎる?
山田邦子の最近の仕事や活動は?
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
山田邦子のテレビ出演が少ない?

山田邦子のプロフィール
山田邦子さんは、1980年代から活躍を続ける女性バラエティタレントです。
また、活動の幅は広く、
お笑いタレント、漫談家、女優、司会者、作詞家、小説家として、
顔も持つマルチタレントとしても有名です。
こちらが、山田邦子さんの簡単なプロフィールです。
- ニックネーム :邦ちゃん
- 生年月日 :1960年6月13日(62歳)
- 出身地 :東京都荒川区
- 血液型: B型
- 身長 :168 cm
- 最終学歴: 川村短期大学家政科(現:生活学科)
- 芸風 :漫談、物真似
- 事務所 :太田プロダクション→フリー→アスリート・マーケティング
- 活動時期 :1981年 –
- 同期 :笑福亭笑瓶、大木こだま・ひびき、ブッチャーブラザーズなど
山田邦子さんは、東京都荒川区東尾久に、
兄・弟と両親による5人家族の長女として生まれました。
幼稚園に入る前に森下町の母親の実家に家族で転居し、
祖父母が以前経営していたアパートを1つの大きな家に改築して、
家族、祖父母、母の兄妹という大所帯となって暮らし始めたそうです。
だから、あんなに明るい性格になったんでしょうか。
山田邦子さんは、川村中学校、川村高等学校卒業していますが、
在学時からものまねが得意で、
学校中に名前が知られるほどの人気ものだったそうですよ。

高校1年時には、西城秀樹のものまねで、
『TVジョッキー』へ出演したのを手始めに、
『クイズ・ドレミファドン!』や『ひるのプレゼント』にも出演しています。
また、『タモリの突撃ナマ放送』では、
5週勝ち抜きするなど、数多くの素人参加番組に出演しています。
そんな山田邦子さんは、1979年、
川村短期大学(現在の川村学園女子大学)に入学後、
落語家を目指して早稲田大学の寄席演芸研究会へ入部します。
「可愛家マッハ」の芸名で活動するも、
落語家には向いていないと悟り、
漫談家への転向を決意しています。
過去のテレビ出演回数がすごい!
素人参加番組の常連として有名な存在だった山田邦子さんは、
素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出場します。
ここで中学以来の持ちネタであるバスガイドのネタを披露し、
チャンピオンになっています。

これをきっかけに、太田プロダクションからプロデビューを果たします。
1981年には、バスガイドネタの『邦子のかわい子ぶりっ子』でレコードデビューを飾り、
「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」などのギャグで人気を博しました。

松田聖子さんを代表とするアイドル全盛だった1981年の流行語「ぶりっ子」は、
山田邦子さんがギャグに使ったことから一般的な流行語になったとされています。
そんな山田邦子さんは、
漫才ブームに付随する形で巻き起こったお笑いブームの潮流に乗り、
若手有望株として大きな注目を集め始めたのでした。
1980年代前半には女優業にも進出し、
多くの仕事をこなしていましたが、
やがてお笑いタレントへ比重を移していきます。
唯一天下を取った女性ピン芸人
そして、
山田邦子さんのバラエティタレントとしての地位を不動のものにしたのは、
当時の超人気番組『オレたちひょうきん族』でした。
この番組には初期から末期まで出演し、
ビートたけしさんや明石家さんまさんと並び、
番組には欠かせないキャラクターとして大活躍をしています。

そこからは、多くのレギュラーを抱えて、
徐々に寝る時間がなくなった山田邦子さん。
そんな山田邦子さんの癒やしの時間は、
自宅近くのジャズバーに行くことでした。
それでも一時は疲労とストレスで死の衝動に襲われ、
警察の担当部署に電話をかけて悩みを相談したこともあったというのですから、
当時の多忙ぶりが伺えますね。
その後も山田さんは順調にキャリアを積み重ねていきます。
- 『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ)
- 『邦子がタッチ』(テレビ朝日)
など自身の名前が入った冠番組を持つようになりました。
「好きなタレント1位」をキープ
NHK「好きなタレント調査」においては、
1988年から1995年まで、8年連続で第1位となっています。
全盛期にはテレビ番組のレギュラーを週14本も抱えていた山田邦子さん。
後に、民放の各キー局に
山田邦子さん専用の「仮眠室」があったと
本人が明かしているほどの売れっ子ぶりでした。
当時の最高月収は”億”を超えていたそうです。
年収でなく月収がですよ!
いくら当時がバブル期全盛といえども凄い稼ぎぶりですね。
また、ゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人は、
山田邦子さん以外皆無だということもあり、
芸能界では山田邦子さんのことを
「女性で唯一天下を取ったお笑いタレント」と評されています。
山田邦子のテレビ出演が激減
熾烈な競争社会である芸能界、
次々に登場する高視聴率を獲得する人気番組の影響で、
山田邦子さんの番組視聴率は徐々に低迷していきます。
これまでナンバーワンだった
好感度もみるみる下降線をたどっていったのでした。

1995年度NHK「好きなタレント調査」では好感度1位だったものの、
1996年度調査では6位、1997年度は14位と急落しています。
そして現在では、世代交代も進み、
ほとんどテレビで見かけることはなくなってしまいました。
記憶に新しいのは昨年暮れの「M-1グランプリ2022」の審査員です。
この時も、採点をめぐりひと物議を醸しましたよね。
かつては好感度ナンバーワンで冠番組も多数抱え、
見ない日はないくらい毎日テレビに出ていた山田邦子さん。
巷では「干された」、という噂もありますが、
山田邦子さんは、本当に干されてしまったのでしょうか?
山田邦子がテレビでない理由4つ!不倫・略奪婚・暴言などヤバすぎる?

山田邦子さんがテレビにでなくなったのには、いくつか理由があるようです。
ここでは、そんなヤバすぎる理由を深掘りしていきましょう。
山田邦子がテレビでない理由① 冠番組の打ち切り
1992年、高視聴率だったにも拘らず、
『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』
が突然打ち切りとなっています。

これは表向きではフジテレビ会長の指示の下、
ゴールデンタイムの音楽番組の復活を狙ったものと説明されています。
しかし実際は番組レギュラーを頻繁に変更するスタッフに山田邦子さんが腹を立て、
「一緒に頑張ってきたメンバーを簡単に降板させるのはおかしい」
と意見し、メイン司会者の自らも番組降板を申し出たためだといいます。
1995年には昼の帯番組『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS)がスタートしますが、
裏番組である『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)や
『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)を追い抜くことはできず低視聴率となってしまいます。
そしてその低視聴率の原因が、
当時売れに売れていた山田邦子さんの「露出過多」だと分析されています。
結局、視聴者から飽きられたということだったのでしょうか?
山田邦子がテレビでない理由② バッシング
そんなふうに山田邦子さんの担当番組の視聴率が低下するとともに、
これまで好感度ナンバーワンだったことの反動としてバッシングが起こります。
まずバッシングの発端となったのは、
NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』(1995年)でした。
山田邦子さんは吉宗の生母・浄円院を演じました。

浄円院は農民の出という説もあるため、
庶民的なタレントだった山田が選ばれたのですが、
視聴者からは「違和感がある」という反応が多かったとされ、
典型的なミスキャストと烙印を押されてしまったのでした。

その後も、1995年夏から秋にかけて週刊誌のバッシング記事が続きます。
こちらがそのバッシング記事の一部です。
- 「山田邦子 大借金と人気凋落で寒すぎる夏」『週刊現代』1995年7月29日号
- 「嫌なやつとは思ってたけど…やっぱりカンにさわる女!! 山田邦子マンネリどこが好感度No.1なの?」『週刊女性』1995年10月10日号
- 「この10人なぜ女に嫌われる!? 山田邦子お騒がせ熱愛宣言グセ」『女性自身』1995年9月19日号
- 「結婚宣言も落ち目の話題作り 山田邦子はテレビ界一の「悪女」」『週刊現代』1995年7月8日号
- 「なぜかムカつくこの女たち 山田邦子」『女性セブン』1995年10月26日号
- 「女に嫌われる女上位20人のなぜ? 山田邦子 あの顔で面食い、ただの浮かれ女」『女性自身』1995年11月14日号
一大キャンペーンのようなバッシングネタの集中砲火ですね!
山田邦子がテレビでない理由③ 不倫からの略奪結婚
そして追い打ちをかけたのが、
1995年12月には写真週刊誌『FOCUS』で、
妻子あるテレビ制作関係者との恋愛スキャンダル報道でした。
「山田邦子が惚れた男 自宅に泊らせる44歳TVプロデューサーとの深い仲」『FOCUS』1995年12月13日号
そして、この不倫騒動を取材する、
リポーターなどに暴言を吐いたことで、
好感度が劇的に落ちてしまったようです。
それは、芸能リポーターから執拗に追い回されることになった山田邦子さん。
その際、芸能リポーターの井上公造さんからの質問に対して山田さんが
「お前もてないだろう」「バカじゃないの」
と罵倒するシーンがワイドショーで放送されたのです。
こんな騒動もあって山田邦子さんの好感度はダダ下がり!
1980年代後半からこの時期までは、
出演番組のほとんどをメイン司会者として務めていましたが、
1995年頃から次第にテレビへの露出が減少。
1997年の『山田邦子のしあわせにしてよ』と
『邦子がタッチ』の同時期の打ち切りにより、
ついに冠番組もなくなってしまいました。
近年では、矢口真里さんや、ベッキーさんなど、
不倫によりどん底に落ちるパターンは少なくありませんが、
山田邦子さんもまた、不倫により干された、芸能人の一人だったようです。
ちなみに山田邦子さん、
その不倫相手とは2000年1月に結婚しています。
当時は”略奪婚”と呼ばれていました。

山田邦子がテレビでない理由④ 乳がん発覚と闘病
そして、山田邦子さんの不幸はまだ続きます。
2007年4月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル』にゲスト出演した際、
同番組内での乳がん自己検診で、胸に違和感を覚え、
その後乳がんが左右の胸にあることが発覚したのでした。
他の女性出演者さんたちと、
一緒に自分の胸を指で押して見たら指導の先生がいう、
『柔らかい肉まんの中に埋まっている梅干しの種』
のような感触があったそうです。
収録中は言い出せませんでしたが、
家に帰って確かめ、翌朝も確かめ、
「これはおかしいかもしれない!」
と思い番組に出演されていた先生に連絡を取り、
あらためて診察をしてもらったところ不安は的中、乳がんでした。
早期発見ではあったものの、結果的には両胸に3ヶ所の患部がみつかりました。
その年の4月に聖路加国際病院にて乳がんの摘出手術を2回行っています。
がんは、右胸に2個、いずれもステージ1。
また、左胸には将来40%の確率でがん化する組織があり、これも切除しました。
その後、ホルモン剤や抗がん剤治療を5年間行い、
2012年に見事全ての治療を終え、がんを克服しています。
現在のところ再発もしていないようです。
しかし早期発見できてよかったですね!
山田邦子さんは、
今は、もうホルモン治療も卒業して年に1度の検診だけとなりました。毎日、ホルモンの薬を、飲むのがイヤだったのにいざやめてもいいとなると、不安になってしまう。
乳がんは、10年再発しなければ、寛解、完治とみなされます。でも私は今も、がんとともに、生きている気持ち。10年以上たって、再発することもあるし不安は、完全には、なくなりません。
と後に語っています。
そして、その時の乳がん治療の経験を生かして、山田邦子さんは、
現在もピンクリボン運動などの乳がんの早期治療・発見に向けた啓発活動に精力的に参加しています。
どうやら、乳がん再発が原因で仕事を抑えているというわけではないようですね。
山田邦子の最近の仕事や活動は?

山田邦子さんの現在の旦那は、後藤史郎さんという人です。
後藤史郎さんはテレビ制作会社の社長をされています。
実はこの旦那、干された原因となった「不倫相手」です。
そこから、山田邦子さんが子供を授かったという報道はありません。
子どもができなかった理由として、
長年にわたる乳がんの治療もあったのかもしれませんね。
現在の山田邦子さんのレギュラー番組といえば、
ラジオ『邦子と丸藤のやまだかつてないラジオ』
テレビはテレショップ『痛快!買い物ランドショップ島』
の2本だけです。
全盛期の1億円といわれる月収には遠く及ばないでしょうが、
それでも、全盛期に購入した8億円の豪邸に
テレビ制作会社の社長である夫と住んでいるので、
余裕のある生活を送っているようですね。
まとめ
今回はそんな山田邦子さんにスポットをあてて、
- 山田邦子のテレビ出演が少ない?
- 山田邦子がテレビでない理由4つ!不倫・略奪婚・暴言などヤバすぎる?
- 山田邦子の最近の仕事や活動は?
以上3つのテーマについて調べてみました。
いかがだったでしょうか?
今後の活躍に注目しましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。


