矢部太郎(カラテカ矢部)さんは、
2018年に第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した「大家さんと僕」が大ヒットし、
漫画家として評価されています。
父親は絵本作家・やべみつのりさんで、
の幼少期のエピソードを描いた「ぼくのお父さん」が、
2021年に出版され注目されています。
矢部太郎さんの家族構成と絵本作家の父親の作品などについて調べました。
矢部太郎の家族構成は?父親は絵本作家で作品は?

矢部太郎の家族構成は?
矢部太郎さんの家族構成は、
- 父親
- 母親
- 6歳年上のお姉さん
- 矢部太郎さん
の4人家族です。
矢部太郎さんは1977年6月30日、
東京都東村山市で生まれの吉本興業東京本社所属のお笑いタレント、漫画家です。
父親は絵本・紙芝居作家のやべみつのりさんです。

生家は東村山市にあり、
平屋が4軒から5軒連なった木造長屋で、
庭にプレハブ小屋を作って父親が仕事部屋にしていました。
そんな矢部太郎さんは東村山市立回田小学校を卒業。
子供の時から絵本作家の父親の影響で絵やイラストを描いていました。

こちらは矢部太郎さんの幼少期の画像。
イケメンな男の子ですね。
中学校は東村山市立東村山第四中学校を卒業。
人付き合いが苦手で、友達がほとんどいなかったようで、
時間があると図書室へ行って漫画や本を読んでいました。
高校は東京都立保谷高等学校を卒業しました。
そして高校で相方の入江慎也さんと出会い、
入江さんに誘われてお笑いコンビを組みました。
また、1学年下にハリセンボン・箕輪はるかさんがいたそうです。
大学は1996年に東京学芸大学教育学部欧米研究専攻へ進学し、
教員免許の取得を目指したこともあります。
大学進学後も入江慎也さんとコンビで漫才を続けていました。
仕事は順調したが、大学では留年を繰り返し、
8年間在籍したあと2004年3月に除籍になりました。
除籍理由は「進ぬ電波少年」で海外へ行かされることが多く、
授業に出席できなかったためです。
矢部太郎さんは独学で、
韓国語、スワヒリ語、モンゴル語、コイサンマン語の4か国語を取得しています。
さらに2007年に気象予報士の資格を取得しました。
才能のある方なんですね。
父親は絵本作家・やべみつのり!作品は?
やべみつのりさんの本名は「矢部光徳」。
1942年生まれ、岡山県倉敷市出身、
岡山工業高校・美術工芸科卒業。
広島の自動車会社マツダでイラストの仕事をした後に上京し、
絵本・紙芝居作家になりました。

父親が絵を描いていた影響で、
矢部太郎さんも子供の頃から絵を描いていました。
矢部太郎さんは、
2021年に出版した漫画「ぼくのお父さん」の中で、
父親との思い出を描いています。
2021年6月に発売した漫画『ぼくのお父さん』(新潮社)が15万部超のヒットとなっている芸人・漫画家の矢部太郎氏。父である絵本作家・やべみつのり氏との幼少期を描く本作。バブル直前の時代の東京郊外を舞台に、家で毎日ひたすら絵を描き、子供たちと遊び暮らす風変わりな父の姿を、優しいタッチと絶妙な距離感で切り取り、読み手の心をつかんでいる。
引用:日経トレンド
ここで、父親のプロフィールも見ていきましょう。
やべみつのりさんは6人兄弟の3男として、
岡山県倉敷市連島(つらじま)の小さなお寺で子供時代を過ごしました。
山門に街頭紙芝居のおじさんがよく来ていたそうです。
岡山工業高校美術工芸科を卒業し、
マツダの宣伝部で新聞広告やポスター、カタログなどの印刷原稿のデザインを担当。
その後、詩人の鈴木志郎康さんに誘われて上京し、
広島の丸善でブルーノ・ムナーリの仕掛け絵本を見て絵本に興味を持ちました。
現在は子供の造形教室「ハラッパ」を主宰しています。
矢部太郎さんが「テレビゲームが欲しい」と言ったときに、
父親は紙芝居風に段ボールで手作りしました。
父親は、何でも絵に描き、おかずを絵に描いている間に、
ご飯が冷めてしまったこともありました。
そんな父親の多数の作品の中から主要な絵本と紙芝居を紹介します。

絵本
- 「ひとはなくもの」作:みやの すみれ 絵:やべみつのり こぐま社
- 「かばさん」作:やべみつのり こぐま社
- 「ふたごのまるまるちゃん」文:犬飼由美恵 絵:やべみつのり 教育画劇
- 「あかくろくんとびだす」作・絵:やべみつのり 童心社
紙芝居
「あれあれなあーに?」作・絵:やべみつのり 童心社
「きょうのばんごはんなあーに?」作・絵:やべみつのり 童心社
「なんだろう?」絵:やべみつのり 原作:野沢茂 童心社
「でてきたなあーんだ?」作・絵:やべみつのり 童心社
矢部太郎の母親は元介護士?

矢部太郎さんの母親は一般人なので、ほとんど情報はありません。
しかし、父親・やべみつのりさんの書いた記事から、母親を紹介します。
母親は、父・やべみつのりさんと同郷の岡山県出身の女性で、
父親が27歳のときに結婚しました。
母親は、
男が外に出て働いて、女が家で子育てしたいた1970年代に、
毎日自宅にいる絵本作家と結婚したのです。
そんな矢部太郎さんの母親は、
介護士として外へ出てフルタイムで働き、
家で絵本を描く夫の家計を助けました。

母親が朝から仕事に出かけた後、
父親がお皿を洗ったり、洗濯したり、掃除をしていました。
両親は結婚して小平市に住み、
結婚の翌年にお姉さんが生まれました。
そして小平市で2~3年暮らした後、東村山市へ移りました。
矢部太郎さんが生まれた家は、
1977年に移ってきた東村山市の平屋が4から5軒連なった長屋で、
庭にプレハブの仕事部屋があったそうです。
ちなみに矢部太郎さんは母親のことが大好き。
実は父親は、夕食のとき、珍しいおかずのとき、
子供たちに食べさせずにスケッチをしたそうです。
おかずが冷めると矢部太郎さんが思ったときに、
母親が父親のノートを取り上げていたので、
矢部太郎さんは母親が大好きとのこと。
矢部太郎の姉も絵の才能がある?
お姉さんは両親が結婚した翌年に生まれており、
矢部太郎さんの6歳年上です。
矢部太郎さんは、お姉さんについて、
子供の時に描いた絵日記が出版できるくらいのクオリティがあると褒めています。
お姉さんも描くことが好きで、
日々の生活を昇華させた部分があると語っています。
現在、お姉さんは結婚しています。
お姉さんの子供・みやのすみれさんも絵の才能があり、
祖父・やべみつもりさんと一緒に絵本「ひとはなくもの」を出版しました。

まとめ
今回は漫画「大家さんと僕」が累計発行部数120万部超を記録し、漫画「ぼくのお父さん」も好評で15万部を突破した矢部太郎さんの家族について調べました。
矢部太郎さんの父親の絵本作家・やべみつもりさんのエピソードなどを紹介しました。
今後の矢部太郎さんの活躍を祈っています。