人気落語家でコメンテーターとしても活躍する立川志らくさん。
今回はそんな立川志らくさんにスポットをあてて、
【立川志らくの学歴】大学どこ?中退した?
【立川志らくの学歴】高校どこ?難関校?
立川志らくの若い頃はイケメン!エピソードは?【画像】
以上3つのテーマについて調べてみました。
どうぞ最後までお付き合いください。
【立川志らくの学歴】大学どこ?中退した?

今回は立川志らくさんの学歴についてご紹介していきます。
立川志らくのプロフィール
- 名前:立川志らく(たてかわ しらく)
- 本名:新間一弘(しんま かずひろ)
- 生年月日:1963年8月16日生
- 出身地:東京都世田谷区
- 身長:168㎝
- 血液型:O型
- 職業: 落語家、映画評論家、映画監督、コメンテーター
志らくさんは中学生の頃から落語と映画に興味を持ち、
その後も熱心にそれらを追いかけてきました。
父親がギタリストであったため、
音楽にも深い関心を持っていると言われています。
また、母親が長唄の著名人であったことから、
芸能界に身を置くことに抵抗はなかったようです。
その後、志らくさんは落語家としての道を歩み始め、
現在では多くの人々に愛される人気者となりました。
落語や映画に限らず、幅広い分野に対して深い関心を持ち、
その熱意を持って取り組む姿勢が、
志らくさんが多くの人々に愛される理由の一つかもしれませんね。
それでは、
立川志らくさんの出身大学や高校の偏差値、
学生時代のエピソードなどをご紹介していきましょう。
立川志らくの出身大学は?
立川志らくさんは高校卒業後は、
日本大学芸術学部演劇学科 偏差値55
に進学しています。

日本大学芸術学部は、
「日芸」という愛称で親しまれ、
映画や演劇、美術、音楽など、
幅広い芸術分野において学びを提供する学部です。
この学部からは、
- 「爆笑問題」の太田光さんや田中裕二さん
- 俳優の高橋英樹さん
- 脚本家の三谷幸喜さん、宮藤官九郎さん
など、多数の芸能人が輩出されています。
また、日本大学芸術学部は、
芸術分野における研究や実践にも力を入れており、
現代の芸術について深い理解を持った人材の育成にも注力しています。
そのため、日本大学芸術学部は、多くの人々から高い評価を受けているのです。
ちなみに、志らくさんは、
高校時代に日本大学の系列校に通っており、
そのために大学進学では内部進学を希望していました。

しかし、内部進学試験で不合格となり、
一度は大学進学をあきらめかけました。
しかし、彼は諦めず、一般試験に再挑戦。
見事に合格し、芸術学部に入学することができたのです。
この出来事について、志らくさんは、
「波瀾爆笑」という番組に出演した際に明かしています。
立川志らくの大学時代のエピソード
演劇学科に在籍
志らくさんは学生時代は映画好きだったことから、
映画業界に就職するために同大の芸術学部に入学し、
演劇学科に在籍して、舞台美術を学んでいました。
また、志らくさんは照明を専攻しており、
演技が下手な同級生にいやいや照明をあてていたそうですよ。

落語研究会に在籍
また、志らくさんは、
大学時代には落語研究会(日本大学芸術学部落語研究会)に所属していました。

そして、1985年10月の大学4年生の時に
落語研究会のOBである高田文夫さんの紹介で、
七代目立川談志師匠に入門することができました。
高田さんは、当時の志らくさんの面白さに注目し、
お前、面白いから落語家になっちゃえよ
と入門を勧めたんだそうです。
また、談志さんも高田さんとは旧知の仲だったことから、
「高田の紹介なら」ということですんなりと入門が許されています。

すんなりと大学生が談志さんの弟子になれたなんて、
言い換えれば有力な先輩の強力な”コネ”入門だったようですね!
立川さんは談志さんの弟子になった経緯については、
次のようにインタビューで話しています。
池袋演芸場にふらっと行ったら立川談志が馬生師匠の思い出話をやって「落語やれぇ」ってヤジが飛んだら、「今日は落語やる気分じゃない。金返すから帰っていいよ」って姿がカッコイイ。この人の弟子になるのがいいなと
当時はまだ大学生だった志らくさんは、
談志師匠から「立川志らく」という前座名を与えられました。
この名前は、
師匠の談志さんが当時フランスの大統領だった
「ジャック・シラク」にちなんで命名したものだと言われています。
立川志らくは大学を中退!理由は?
大学は4年生の11月に中退し、
落語家の修行に専念することになった志らくさん。
当時は、
前座修行で忙しすぎて学校に通えないから、
親に内緒で勝手に退学届けを出した
と後のインタビューで振り返っています。
そんな志らくさんは、上納金の未払いに加え、
築地市場で働く立川流独自のルールにも抵抗を示し、
すべて拒否してしまったために談志さんから入門半年で破門を言い渡されてしまったのです。
しかし、志らくさんはあっさりと破門を受け入れたわけではありませんでした。
なんと、あの談志さんに絶妙な切り返しで破門を取り消すことに成功したのです。

それからというもの、
談志さんは志らくさんを可愛がるようになり、
落語家としての修業は着実に進みました。
このように、志らくさんは苦境に立たされながらも自分なりの信念を貫き通し、
最終的には師匠の信頼を勝ち得たのです。
そして、1988年3月には、二ツ目に昇進し、
本格的な落語家としての活動を始めました。
【立川志らくの学歴】高校どこ?頭良くて難関校?

立川志らくさんの出身高校は?頭良かった?
立川志らくさんの出身高校は、
東京都 日本大学第三高校 偏差値65(現在・難関)
です。

立川志らくさんは、私立の男子校(当時)である日本大学第三高校出身です。
この高校は1891年に開校され、日本大学の系列の私立高校として知られています。
同校は部活動が盛んで、特に硬式野球部は全国的な強豪として有名です。
立川志らくさんの出身校である日本大学第三高校は、
現在では難関校として知られています。
日本大学の附属校である同校は、近年の偏差値の上昇に伴い、
明治大学や法政大学、中央大学、立教大学などの
”MARCH”クラスの大学に多数の合格者を輩出しています。
しかし、立川さんが在学していた当時は、
現在のような高いレベルではありませんでした。
主な進学先は日本大学が中心でした。
また、立川さんの同級生には、
元F1ドライバーの片山右京さんや、
プロ野球の巨人で活躍した福王昭仁さんなどがいました。
彼らとの交流や思い出についても、
立川さんが語っているエピソードがあるかもしれませんね。

【主な卒業生】
- 大川橋蔵(俳優)
- 若山富三郎(俳優)
- 根津甚八(俳優)
立川志らくの高校時代のエピソード
立川志らくさんは、
高校時代に学年でTOP10に入るほどの成績を取っていました。
また、模範的な生徒であったことから内申点も良かったとされています。
しかし、意外にも彼は、前述したように
日本大学芸術学部の内部進学試験に不合格になってしまったそうです。
内部進学試験とは、
その大学に入学している学生が進学を希望する学部への入学試験のことで、
一般の受験生よりも合格率が高いことが特徴です。
この結果について志らくさんは、
「自分には芸術センスがなかったのかもしれない。」
と語っています。
そんな志らくさんは高校時代から落語に親しみ、
寄席に通うなど落語ファンとしての一面も持っていました。
また同時に、映画も大好きで、
将来は映画俳優や映画に関わる仕事をしたいと考えていたそうです。
しかし、
志らくさんは落語家になることは当時は全く考えていなかったとのことですよ。
立川志らくの若い頃はイケメン!エピソードは?【画像】

立川志らくさんは、1990年代には、
立川談春さんとともに「立川ボーイズ」として活躍し、人気を集めていました。
特に志らくさんは、当時のイケメン落語家としても注目を集めました。

しかし、テレビの仕事にうんざりしていた立川さんは、
業界を離れることを決意します。
その後、師匠の談志さんが亡くなった2011年には、
「なんで志らくはもっと売れないんだ?」
という師匠・談志さんの言葉があったことから、
再びテレビに出演するようになりました。
以降、立川志らくさんの知名度は再び上昇し、現在も活躍されています。
落語家としての才能はもちろん、情報番組のコメンテーターとしても、
そのキャラクターの良さから、幅広い層から愛されています。
まとめ
今回はそんな立川志らくさんにスポットをあてて
- 【立川志らくの学歴】大学どこ?中退した?
- 【立川志らくの学歴】高校どこ?難関校?
- 立川志らくの若い頃はイケメン!エピソードは?【画像】
以上3つのテーマについて調べてみました。
いかがだったでしょうか。
今後の活躍が益々楽しみですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。

