個性派俳優として、唯一無二の存在感を持つ、竹中直人さん。
これまで、数々のドラマや映画で、多くの強烈なキャラクターを演じています。
そんな竹中直人さんが、実は「芸人」という事を、ご存じでしょうか?
「竹中直人の若い頃はイケメン芸人だった?」
「笑いながら怒る人の由来は映画だった?」
この記事では、竹中直人さんの若い頃にフォーカスを当て、
イケメン芸人だった頃や、
鉄板ネタ「笑いながら怒る人」の由来について、
紹介していきたいと思います。
ぜひ、最後までご覧ください!
竹中直人の若い頃はイケメン芸人!

竹中直人さんといえば、
渋い役柄から二枚目キャラまで、
自由自在に演じるベテラン俳優。
若い頃はどんな活動をしていたのか、
見ていきましょう。
芸能界デビュー
竹中直人さんは、大学卒業後、俳優を目指して
劇団に入ります。
さっそく、若かりし頃の竹中直人さんをご紹介します!
こちらは24歳の頃の姿です。

劇団に入ったとしても、それだけでは
暮らしていけないと思い、
テレビのオーディションに挑戦します。
1983年に放送されたテレビ番組、「ザ・テレビ演芸」にて。
こちらは、27歳の頃の姿です。

「ザ・テレビ演芸」のオーディションコーナー、
「飛び出せ!笑いのニュースター」に挑戦し、
見事グランドチャンピオンを獲得してデビューを果たします!
芸人活動

竹中直人さんは、多くのテレビ番組に出演していきます。
1985年、演劇&コントユニット、
「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。
そのメンバーには、シティーボーイズや、
いとうせいこうさんがいました。
シティーボーイズの3人。

いとうせいこうさん。

竹中直人さんは、コメディアンとして活躍しながら、
映画やドラマ、音楽と活動の幅を広げていきます。
竹中直人さんは、28歳の時に、
「かわったかたちのいし」というアルバムを発売します。

目力はそのままで、なかなかのイケメンですよね。
竹中直人さんのマルチな才能は、
若い頃から発揮されていたことが分かります。
竹中直人のネタ「笑いながら怒る人」の由来は映画?

「笑いながら怒る人」をご存じでしょうか。
これは、竹中直人さんの代表のネタです。
いまや伝統芸となっている「笑いながら怒る人」。
この誕生秘話を紹介します!
どんなネタ?
どんなネタかというと、文字通り、
顔は笑いながら口調は怒っている人を演じます。

へらへら笑っているのに、口調は怒っているという、
違和感が笑いを誘います。
これまで多くの人にマネされてきた代表作です。
以前、「Netflixプラン提供開始イベント」にて、
「笑いながら怒る人」を披露しています。
誕生の由来
「笑いながら怒る人」が誕生したのは、
大学生時代でした。
竹中直人さんの出身大学は、多摩美術大学です。

専攻は、美術学部デザイン科グラフィックデザイン。
当時、8ミリフィルムで映画を撮影した時、
少しだけフィルムがあまったといいます。
そこで、「首振り地蔵の怪」という短編映画を製作。
完成した作品を友達に披露したところ、
馬鹿にされたといいます。
そこで竹中直人さんは、笑いながら怒ったところ、
その様子に大爆笑が起きたのです。
これがきっかけで、
「笑いながら怒る人」というネタが誕生しました。

この誕生秘話を、竹中さんはこのように語っています。
お地蔵さんが首振って笑ってるというヤツ。
みんなにバカにされたから(笑いながら)
『ふざけんじゃねぇ、コノヤロー』と怒った。
そしたら、みんな大爆笑。それが40年続いている。
引用:オリコンニュース
竹中直人さんが20歳の頃から続けているので、
40年以上歴史のあるネタ。
今や「笑いながら怒る人」は、
竹中直人さんの代名詞にもなっています。
竹中直人の若い頃のエピソード

個性派俳優の竹中直人さんは、
若い頃どんな青年だったのでしょうか。
ここからは、竹中直人さんの若い頃の
エピソードを紹介していきます。
横山やすしが認めた
竹中直人さんは、若い頃からその才能を認められていました。
芸人として活動していた頃、出演した番組のMCを務めていた
横山やすしさんに絶賛されました。

横山やすしさんは、伝説の漫才師と言われる大物。
めったに新人を褒めることはなく、辛口で有名な方でした。
その横山やすしさんに認められたという事が話題となり、
竹中直人さんのさらなる活躍に繋がったと言われています。
人気女優との交際
芸能界で、人気者の仲間入りを果たしていた29歳の頃、
人気女優と交際していました。
その人気女優は、美保純さんです。

1984年の映画「ロケーション」
での共演がきっかけで交際に発展。

竹中直人さんも美保純さんもそれぞれ、
記者からの質問には、
隠すことなく交際を宣言していました。
世間にラブラブぶりを語っていたふたりですが、
残念ながら結婚には至りませんでした。
破局の理由は分かりませんが、
美保純さんからフッたと言われています。

その後、竹中直人さんは結婚していますが、
美保純さんは現在も独身を貫いています。
漫画家志望だった

竹中直人さんは子供の頃から、
コメディアンや俳優を志望していたと思いきや、
実は違うことをインタビューで語っていました。
子供の頃は漫画家に憧れていたそうです!
手塚治虫先生の、「ロック冒険記」という漫画を見て、
自分も漫画家になりたいと思ったようです。

当時の様子をこのように語っています。
ずっと美術だけは5で、模写がうまかったんですよ。
自分で言うのもなんですけど(笑)。
いつもみんなに「漫画描いて」って言われて、
さいとう・たかをさんや川崎のぼるさん、
ちばてつやさんの漫画をそのまま描き写してました。
その後、「石ノ森章太郎のマンガ家入門」
って本まで買ったんですよ。
引用:めちゃマガ
竹中直人さんは高校卒業後、
2年間の浪人の後、多摩美術大学に入学しています。

多摩美術大学は、美術分野の難関校。
2年間浪人生活をするほどですので、
竹中直人さんは美術分野を強く志望していたのですね。
竹中直人さん初監督作品は、
つげ義春先生の「無能の人」。

子供の頃から好きだった漫画が、
大人になってからの仕事に繋がっているのですね。
まとめ
竹中直人さんが、実は芸人としても活躍していた事が、
お分かりいただけたでしょうか。
伝統芸「怒りながら笑う人」も、
ひょんなきっかけで誕生したのですね。
何歳になっても輝き続ける竹中直人さんを、
これからも応援していきましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました!