坊主でモテない芸人として有名だったハライチ澤部さんですが、
実は運動神経が抜群でバスケ部に所属していたって知っていましたか?
ハライチ澤部さんの高校大学はどこなのか、バスケの腕前も気になるところ。
今回はハライチ澤部さんの高校大学はどこなのか、
バスケ部所属で運動神経は抜群だったのか、
学生時代の様子をご紹介します。
ハライチ澤部の高校大学はどこ?

ハライチ澤部さんは頭が凄くいいという話は聞いたことがないので、
偏差値は普通位か低めだと思います。
でも芸人は高学歴な人が多いし、
嫁は社長令嬢なので、
もしかしたら公表されていないだけで高学歴な可能性も考えられます!
お笑いへの道は高校生の時に進みだしたそうなので、
一体どこの学校出身なのでしょう。
そして大学に進学している場合はどこの大学に通っていたのかも調査しました。
ハライチ澤部のプロフィール

- 名前:澤部佑
- 生年月日:1986年5月19日
- 身長:172cm
- 血液型:O型
- 出身地:埼玉県
- 所属:ワタナベエンターテインメント
幼い頃からお笑いが好きなハライチ澤部さんは、
小学生のお楽しみ会でコントを披露したりと人を楽しませるのが好きでした。
当時はボケを担当してお笑いをとっていて、
本格的に芸人を目指したのは高校生からになります。
テレビで見ていたM-1に憧れ、
2005年に幼馴染みであり相方の岩井さんとコンビを結成。
同年3月に行われたワタナベコメディスクールの「お笑いメジャーリーグ」に出場し、
高校生の部でグランプリを受賞。
そしてハライチのコンビは2期生として特待生入学しました。
ブレイクのきっかけとなったのは「ノリボケ漫才」と呼ばれるスタイル。
芸人と言えばボケにすぐツッコミを入れていくスタイルが多い中、
岩井さんのボケに澤部さんがツッコまず、
ノッて行きボケ倒して笑いを取るという変わった漫才。
幼馴染みだからこそ息の合うノリボケはいつ見ても非常に面白いです。
ハライチ澤部の出身高校
澤部さんの出身高校は埼玉県にあり、
1980年創立の「埼玉県立大宮東高校」でした。
偏差値は43~48で普通位の偏差値でした。
高校の口コミを見てみるとあまり評判は良くなく、
いじめも少し多くて問題になっている事もある学校のようです。
そんなマイナス面が目立つのですが、
運動部が強くて推薦入学をしたりする人も多くいる体育会系のような学校です。
この学校の卒業生に話を聞いたところ、
水泳、ソフトボール、野球、バスケットボールが強いという噂がありました。

高校時代のハライチ澤部さんは学校でいじめられた事があり、
学校も休みがちだったそうです。
いじめだけが理由ではなく、
学校に通うのに自転車で40分~50分もかかるので、
めんどくさくて行きたくなくなったそうです。
そんな事もありながら高校を無事卒業してお笑いへの道に進んでいきました。
出身大学
ハライチ澤部さんは高校を卒業すると、
ワタナベエンターテインメントの養成所に所属したため、
大学には通っていませんでした。
高校時代に優勝したお笑いメジャーリーグでは、
200~300人いる中から優勝した凄腕の持ち主。
そりゃワタナベエンターテインメントの養成所に特待生で入所し、
大学には進学しないわけです。
ハライチ澤部はバスケ部所属で運動神経抜群だった?

ハライチ澤部さんは学生時代痩せていて部活に所属もしていたそうです。
どんな部活をしていたのか調べた所、
バスケ部に所属していて当時は運動神経抜群だったそうです。
それならモテていただろうし、運動神経はどれ位よかったのか気になりませんか?
不登校気味だったとはいえ、お笑いのセンスもあり、
バスケもできる当時のハライチ澤部さんとはどんな人だったのでしょう。
バスケ部だった?!

ハライチ澤部さんはいつバスケをしていたのかというと、
中学生時代は3年間バスケ部で頑張っていたそうです。
この頃は痩せいていて、
中学二年生の時は後輩からも先輩からもモテて告白され、
人生で一番のモテ期だったそうです。
中学3年生の時は副部長を務めており、
中学はモテモテ人生だったので高校もこのままいくのかと思いきや、
高校デビューは失敗してしまったそうです。

そのため高校は1年だけ部活に入っていたのですが、
退部してしまい2年生からは帰宅部になりました。
高校でも見た目はイケメンなのでモテていそうですが、
あまり目立つ存在ではなかったからモテ期が終わり、
陰キャキャラが定着してしまったんですね。
せっかくの運動神経なので、
高校卒業まで頑張っていたら、
プロのバスケ選手になってたのかもしれません。
バスケの腕前はどれ程?

中学時代には副部長も務めていた程の腕前があるハライチ澤部さん。
兄の影響でバスケを始め小学1年生の頃から放課後に練習するようになり、
小学5年生からは地元のミニバスケットチームに所属しました。
そしてNBAに入る事を夢見て、
ここから努力をして高校でも1年生でベンチ入りができ、
試合に出れそうな雰囲気はありました。
しかしハライチ澤部さんは1年間しか部活には入りませんでした。
その理由が
「サッカーの日韓ワールドカップを見るために部活の練習をさぼった」
事が原因だったそうです。
ハライチ澤部さんはサッカーも好きだったので、
試合をテレビで見るのを楽しみにしていたのですが、
好きなバスケの練習をさぼって何しているんだろうと後悔しました。
腕前はあるのにサッカーを一度優先しただけで、
そんなに思い詰める事はないと思うのですが、
それだけバスケに全力だったことが伝わりますね。
ハライチ澤部の学生時代のエピソード3選

小学校1年生からバスケをしていて、
バスケ漬けの青春を送っていたハライチ澤部さんですが、
モテていたという話もあり、学生時代の青春エピソードなど気になります。
お笑いの才能とバスケの運動能力を兼ね備えたハライチ澤部さんなら、
色々な学生時代のエピソードが聞けそうです。
一体どんなが事を経験してきたのか、
ずっと仲良しだったのに数年口を聞かい程の兄弟喧嘩もしているのでご紹介します。
壮絶ないじめ

高校の紹介をした際に軽くお話したのですが、
ハライチ澤部さんは高校時代にいじめにあっていました。
その内容が授業中に後ろの席から椅子を蹴られ、
教科書に出てきた「回る地球」のモノマネを要求されたり、
肩パンチをされる、悪口を言われるなどです。
しかし学校の先生はヤンキーが怖くて、
いじめの事は全て見て見ぬふりをしていました。
11歳から8年間喧嘩
ハライチ澤部さんには4つ上の兄がおり、幼い頃から仲が良かったです。
ある日野球ゲームを兄弟でしていた時にピッチャー側だった兄は、
ハライチ澤部さんが打てないようなフォークや変化球ボールを投げます。
するとハライチ澤部さんはコントローラーをブン投げ、
「ふざけんなテメェ!! フォークばっか投げやがって!」
と兄にキレてしまいました。
それ以降兄とは一切口をきかなくなり、
そのまま8年も仲が悪かったと言います。
数日で仲直りしそうな喧嘩ですが、
まさか8年もぎくしゃくするとは二人とも思いもしなかったと思います。
ハライチ澤部の取り合い

相方の岩井さんとは幼い頃からの幼馴染であるのですが、
もう一人幼馴染がいます。
元々はもう一人の幼馴染とよくい遊んでいたのですが、
岩井さんとは小学6年生で初めて同じクラスになり、
一気に意気投合しました。
そして四六時中一緒にいることから学校の先生にも
「お前ら仲良すぎるぞ」と注意されるほどでした。
そんな姿を見ていたもう一人の幼馴染は嫉妬し、
「俺の澤部だ!」「俺の方が澤部と仲がいい!」
と岩井さんと喧嘩する事もあったそうです。
何とも可愛らしい喧嘩ですね。
ハライチ澤部さんのモテ期は小学生の時から始まっていました。
まとめ
いかがでしたか?
高校は大宮東高校、その後大学には行かずお笑い養成所に通っていました。
バスケの腕前もあったのですが高校一年生の時に引退してしまったのはもったいないですが、お笑いの才能もあり凄い人だと思いました。



