街中や新幹線などで遭遇しても、
テレビのままの大御所おしゃべり芸人と言えば明石家さんまさん。
今も変わらぬスタイルで、
昔はかなりイケメンでモテモテだったそうですが、
どれだけイケメンだったのか気になるところ。
更に日航機墜落事故を奇跡的に回避した経験もあるという事で、
強運の持ち主だと思いました。
そんな明石家さんまさんについて今日はご紹介します。
【画像】明石家さんまの若い頃はイケメン!

今は老若男女問わず、
人気のバラエティ番組司会者というイメージが強い明石家さんまさん。
喋ってないと体調悪いのかなと心配になるほど、
常にマシンガントークで場を盛り上げてくれます。
そんな明石家さんまさんは若い頃はイケメンで、
とあるドラマに出演したことがきっかけで全国的に人気な芸人になりました。
一体ドラマに出演していた頃の明石家さんまさんって、
どれだけイケメンだったのでしょう。
明石家さんまのプロフィール

- 名前:明石家さんま
- 本名:杉本 高文
- 生年月日:1955年7月1日
- 出身地:奈良県
- 身長:174㎝
- 血液型:B型
- 所属:吉本興業(マネジメント)、個人事務所
幼い頃からいたずらが大好きで、
人を笑わせたり、いたずらを仕掛けたりと
周りから人気のある学生時代を送っていた明石家さんまさん。
高校3年生の時に花月劇場で見た
松之助の新作落語が面白かったからという理由から、
高校卒業と同時に笑福亭松之助に弟子入りしました。
弟子入りから半年して修行を放り出して、
当時交際していた女性と駆け落ち状態で東京に上京するも上手くいかず、
程なくして関西に帰省してきます。

関西に戻ってきてからは、
笑福亭松之助さんがあちこちに根回ししてくれたおかげで仕事が入り、
少しずつ芸人として活躍し始めます。
そして関西を中心にアイドル的大人気芸人になっていき、
1978年のフジテレビ正月特番「はつもうで、三枝の爆笑ヒットパレード」に出演。
これがきっかけで全国的に知名度が上がり、
一気に大物芸人への道を進み始め、
1999年にはギネス世界記録に露出の多いテレビスターとして認定されました。
明石家さんまさんについて調べると、
流石大物芸人と言えるような行動や受賞をしていて、
凄い人なんだと改めて思いました。
若い頃はイケメンだった!
芸人であれば面白いとモテるのはもちろんですが、
アイドル的人気までたどり着くには顔も重要になってきます。
明石家さんまさんは、
昔から変わらぬスタイルの良さをキープしているのですが、
一体どれ程若い頃はイケメンだったのか、
今回は画像を用意したのでこちらをご覧ください。

今と変わらぬ清潔感があり、スタイルも良くて、
親に紹介しても父親に受け入れられそうな見た目をしていると思いませんか?
爽やかで芸人や落語界ではイケメンの部類に入ると思います。
更にもう一枚、
男女七人夏物語という大人気ドラマのシーンも
明石家さんまさんはイケメンなのでご紹介します。

この時に元嫁の大竹しのぶさん共演しており、
美男美女カップルだとも周囲から言われていました。
明石家さんまさんって、
一人でいつもマシンガントークをしながらニコニコしている印象しかないので、
真顔な姿も素敵ですね。
明石家さんまは日航機墜落事故を奇跡的に回避!

1985年8月12日、
羽田から伊丹へと向かう日本航空123便が破損し、
高天原山に墜落し520名が死亡するという
前代未聞の大事故「日航機墜落事故」をご存じですか?
この痛ましい事件は日本の航空業界で、
今も語り継がれる複数のトラブルが重なり、
起こってしまった忌まわしい事件です。

この事件の飛行機に
当時、明石家さんまさんが搭乗する予定だったのですが、
奇跡的に墜落事故の飛行機には乗らずに済みました。
この飛行機には、
当時数名の有名人も乗る予定だったのですが、
奇跡的に回避していました。
明石家さんまさんはどうして回避できたのか、
奇跡的に回避した他の芸能人も合わせてご紹介します。
奇跡的に回避できた理由
明石家さんまさんは日本航空123便に乗る予定でしたが、
この日はバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のレギュラー収録が早めに終了。
その為1便繰り上、全日空に振り替えをし、
1便早く乗ったため奇跡的に墜落事故をま逃れました。
この判断が無ければ事故に遭い、
もしかしたら亡くなっていたのかもしれないと思うと
本当に奇跡的にま逃れて良かったです。
ちなみに墜落事故にあった飛行機には、
坂本九さんやハウス食品の社長らが乗っていました。
明石家さんまさん以外に回避した芸能人
本来であれば明石家さんまさんと同じ飛行機に乗る予定だったのですが、
様々な事情により飛行機のチケット変更やキャンセルで搭乗をま逃れたのはこの方々です。
- 深田恭子
- 稲川淳二
- 浅見れい
- 笑点メンバー
- ジャニー喜多川
- 少年隊
超有名人ばかりが当時乗る飛行機だったので驚きました!
本当に奇跡とも言えるタイミングでの変更だったので、
幸運の持ち主には間違いないですね。
明石家さんまの若い頃のエピソードは?

明石家さんまさんは芸歴40年以上なので、
様々なエピソードを持っていると思うのですが、
特に気になるのが若い頃の話です。
イケメンで当時はお笑い芸人として、
「タモリ、明石家さんま、ビートたけし」と並び、
「お笑いビック3」とも言われている人物です。
そんな人から出てくるエピソードはきっととんでもない話だろうと思い、
若い頃のエピソードを調査しました。
1.後輩に下ネタを禁止させていた
昔のお笑い芸人は尖っていたり、
体を張った芸風は多いものの、
下ネタをギャグやネタで発言するのは良くないとされていました。
その為、若い頃の明石家さんまさんは、
後輩芸人にも下ネタは使わないように言っていたのです。
後輩芸人からはその姿が清くてかっこいいと言われていましたが、
今や8割が下ネタ発言だと笑われています。
2.抱かれたいランキング一位

若い頃は俳優顔負けのイケメン芸人とも言われており、
ファンの出待ちは当たり前で抱かれたい男ランキングも1位に輝いたことがあります。
当時は落語家として活躍していたのですが、
「さんまが話す落語はつまらない、漫談や司会者に向いている」
とアドバイスをもらったそうです。
そこから司会者や漫談を挑戦した所、
見事にヒットし人気になりました。
抱かれたい男1位は凄い快挙ですね。
3.若い頃はとんねるずと共演していた!
今は見る事が無くなってしまった芸人の共演で多くの名前をあげられるのが
「明石家さんまととんねるず」です。
不仲説が出るほどに昔は仲が良くて共演していたのに
急にテレビも舞台でも見かけなくなってしまいました。
調べたところによると、
とんねるず石橋貴明さんは、明石家さんまさんを「明石家さん」と呼ぶものの、
凄く信頼している芸人の一人と過去に話していました。
現在共演しないのは、
二人とも売れて司会者芸人として被ってしまうので、
共演はあまりしないようにしている可能性もあります。
まとめ
いかがでしたか?
明石家さんまさんは高校時代から体重が変わっていないそうで、変わらぬスタイルを保ちつつ、若い頃はイケメンでした!
墜落事故もあの時時間をずらしていなかったら犠牲者になっていたと思うと、幸運の持ち主ですね。
今も人気芸人であり、これからも変わらぬ笑顔で面白いトークに期待したいです。





