「ミスターかくし芸」とも呼ばれるエンターテイナーの堺正章さん。
堺正章さんは、喜劇俳優である父の堺駿二さんと
撮影所に行ったことがきっかけで5歳のときに映画でデビューしました。
現在はマルチタレントとして、
司会業を中心に活躍されています。
そんな堺正章さんの結婚歴はなんと3回。
今回は、
『堺正章の歴代嫁は3人&現在の妻は敦子!』
『岡田美里との離婚理由はPTSD?』
堺正章さんの結婚歴について、調査しました。
堺正章の歴代嫁は3人!

堺正章の結婚歴
- 本名:栗原正章(くりはら まさあき)
- 生年月日:1946年8月6日
- 出身地:東京都世田谷区
- 血液型:A型
- 所属:エスダッシュ
堺正章さんの結婚歴は以下です。
- 一般女性
- 岡田美里さん
- 一般女性の敦子さん
2番目の岡田美里さんと3番目の現在の嫁は後ほど紹介します。
ここでは、まず最初の嫁について見ていきましょう!
堺正章の1番目の嫁に1億の慰謝料を支払った?

堺正章さんの1番目の奥さんは一般女性と言われていますが、
実は社長令嬢なんだそうです。
1974年の堺正章さんが28歳のときに結婚し、
結婚6年目の1980年に離婚しています。
何よりもビックリなのが、
慰謝料1億円の請求に応じたことです。
堺正章さんは2度の離婚を経験していますが、
浮気での離婚はないので、この金額は・・・という感じですよね。

そのときの離婚会見では
「私が家庭生活に向いていなかった。全て自分の責任」
と答えているので、多忙であった堺正章さんとの
すれ違いが原因ではないかと思われます。
慰謝料が1億という大きな金額なので、
離婚会見では離婚に至った経緯などではなく、
1億円の慰謝料をどうやって支払っていくかについての質問が集中したそうです。
堺正章と2番目の嫁・岡田美里との離婚理由はPTSD?

2番目の妻は俳優の岡田真澄さんの姪である、
岡田美里さんです。

- 名前:岡田美里(おかだ みり)
- 生年月日:1961年8月24日
- 出生地:東京都
- 血液型:A型
- 職業:タレント、エッセイスト
- 配偶者:堺正章(1989年 – 2001年)、柳沼則夫(2003年 – 2008年)、一般男性(2022年 – )
- 著名な家族:E・H・エリック(父)、栗原菊乃(長女)、堺小春(次女)
初婚から9年後の1989年に結婚し、
芸能界のおしどり夫婦と言われていました。
しかし、
結婚から12年目の2001年に離婚しています。
このとき堺正章さんは55歳でした。
離婚理由1.堺正章とのすれ違い
岡田美里さんは週に3,4回は夫婦でゴルフをしたかったそうなんですが、
多忙を極める堺正章さんに、そこまでの時間を割く余裕はありません。
仕事なんだから仕方ないと思います。

仕事が順調な上に人望もあった堺正章さんには、
多くのお歳暮やお中元が届くそうなんですが、
あまりに多かったため、
礼状を書いたりするといった対応が辛くなってしまったようです。
岡田美里さんが執筆した『「しあわせ」のかたち』にも、
堺正章さんへの不満がつづられています。
結婚当初は堺も今ほど多忙でなく、週に4日間ゴルフをやっていた。なんで長者番付に載らなくちゃいけないの?(堺さんが出演中のNHK朝の連続テレビ小説)「ちゅらさん」(2001)のような仕事をしないお父さんがよかった。
引用元:「しあわせ」のかたち

最初に離婚を考えたのは5年くらい前。堺のそばで妻をやっていくのが大変でした。お中元やお歳暮で生きたクルマエビや殻つき生ガキ100個とか届いて、食べたいものも食べられない。宅配便が届かない日がない。礼状を書くのもすべて私。
引用:「しあわせ」のかたち
離婚理由2.PTSDと診断された?
岡田美里さんの幼いころの体験で
とても恐い思いをしたことが発端です。
父親のE・H・エリックさんが酔った勢いで母親に暴言を吐き、
岡田美里さんが止めに入ったところ、
腕を強く引っ張られたことで、PTSDを発症しました。

E・H・エリック
タレントや俳優として活躍し、岡田真澄さんの兄
1995年に3人目のお子さんを流産し、
堺正章さんのちょっとした言動や日常の振る舞いで症状が悪化しました。
どんな振る舞いが原因なのかというと、
机の上に何気なくハガキを放り投げたり、
付き人を怒鳴る姿を見て、
子供や自分にも同じような態度をされるのではないか
と思うようになったとのこと。

病院からは夫婦でカウンセリングを受けることを勧められましたが、
多忙だった堺正章さんは同行してくれず、
岡田美里さんは不信感が強くなっていったそうです。
岡田美里さんのこれらの発言には
「贅沢」「わがまま」という批判が殺到し、
堺正章さんのお母さんまでもがワイドショーに出演する
という大きな事態に発展してしまいました。
これに対し、堺正章さんは都内で会見を開き、
岡田美里さんの主張を全面的に認め、謝罪しました。
岡田美里さんを擁護することが目的でしょう。

その後、岡田美里さんさんは自身のブログで
「配慮に欠ける発言をしてしまって悔やんでいます。(堺さんに対し)今も私の心の中に彼はいます。心から感謝しています。」
とコメントしました。
堺正章と岡田美里には子供が2人
堺正章さんと岡田美里さんの間には、
2人のお子さんがいらっしゃいます。
長女は栗原菊乃さん。

デザイン会社のグラフィックデザイナー、
女性ファッション雑誌「NYLON」のオフィシャルブロガーや
モデルとして活動しています。
2015年には「パープルシングス」という自身のブランドを立ち上げ、
2020年に結婚。
次女は堺小春さん。

栗原小春としてミュージカル「アニー」のオーディションに合格し、
芸能界デビューしました。
「アニー」の後は学業に専念するため、芸能活動を停止。
2015年に舞台「転校生」で芸能活動再開を再会し、
2018年には舞台「金魚鉢のなかの少女」で初主演を果たしました。

堺正章さんは初主演が決まり、お喜びしたそうですよ。
堺正章の現在の妻は敦子!馴れ初めは?

現在の妻は堺正章さんより22歳年下で、
一般女性の敦子さんです。
2人の間にお子さんはいません。
一般女性といっても、
敦子さんは元モデルで、身長は175cmあるスレンダー美女。

とてもキレイな方ですね。
22歳も年が離れているので、テレビを一緒に見ていると、
ツボるところが違ったりすることから年の差を感じることもあるようです。
10年以上という長い交際期間を経て、
堺正章さんの65回目の誕生日、2011年8月6日に結婚。
堺正章さんはインタビューで、
「3回目の結婚で失敗したらえらいこっちゃです。」と話し、
結婚を申し込まれたら断るつもりでした。

「子供が来やすい家でありたいから。娘のために生きていくのがいいかな。もし、倒れたら娘が面倒見てくれる、それが理想型ですね」
とも発言しており、長女の栗原菊乃さんは
「私が面倒みなきゃ」と思ったそうです。
そんな心優しい栗原菊乃さんは、
堺正章さんが再婚すると聞き、
少しショックを受けていました。

母親の岡田美里さんに
「お母さんの再婚は仕方ないかな、と思っていたけれどお父さんについては複雑」
と漏らすも。
現在は敦子さんともいい関係を築いてるとのことです。
堺正章と敦子の馴れ初め
おニ人は2002年に開催されたイタリア車の祭典
「ラ・フェスタ・ミッレミリア」で出会い、
レースを通じて意気投合しました。

「ラ・フェスタ・ミッレミリア」とは
1927年~1957年の間にイタリアで行われた自動車レース。
現在ではクラシックカーレースとして、毎年開催されています。
余談ではありますが、堺正章さんは大のクラシックカー好きで、
愛車は1948年式マセラティA6 GCSです。

「ラ・フェスタ・ミッレミリア」は日本でも開催されており、
堺正章さんは毎年参加されているそうですよ。
敦子さんと一緒に参加しているのでしょう。
出会いから翌年の2003年にインドネシアのバリ島でバカンスを過ごしている
ところを週刊誌に報道されています。
ですが、お二人は記者や人目を忍ぶことなく、
堂々とデートを重ねたそうなんですが、
敦子さんはプロポーズの言葉はなかったと話しているんです。
これは、堺正章さんに迷いがあったからでしょう。
堺正章さんには、10年ほど付き合ってはいるが、
離婚歴があるので、敦子さんに申し訳ないという気持ちがあったようです。

ところが、「そろそろ白か黒かはっきりしましょう」と敦子さんに言われ、
「もう一度、頑張ってみようか」と決意しました。
敦子さんからの逆プロポーズということですね。
現在は敦子さんと仲睦まじく生活しているとのことです。
結婚には苦労が尽きない堺正章さんですが、
3度目の正直でこれからも幸せであるといいですね。
まとめ
堺正章さんには歴代3人の奥さんがいて、
苦労を重ねてきたことがわかりました。
司会者として活躍する堺正章さんを、
これからも応援していきたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
