ブラックな笑いを得意とする、
2009年R-1グランプリ優勝者のピン芸人、中山功太さん。
R-1グランプリ優勝後、一気に知名度を上げましたが、
最近はすっかりテレビで見かける事が少なくなりました。
「中山功太の実家は金持ちで間取りが27LDKKK?」
「中山功太の母親は芸人?」
この記事では、中山功太さんのプロフィールや、
実家が金持ちだという噂、さらに、母親が芸人という話題まで
まとめて紹介したいと思います。
是非、最後までご覧ください!
中山功太のプロフィール

中山功太のプロフィール
- 本名:中山功太(なかやまこうた)
- 生年月日:1980年6月24日
- 血液型:A型
- 出身地:大阪府大阪市
- 身長:170センチ
- 体重:70キロ
- 趣味:ビジネスホテル宿泊・大食い・怪談話・歌ネタ
- 所属事務所:吉本興業東京本社
中山功太さんは、吉本興業所属のピン芸人。
NSC大阪校の22期卒業生です。
同期芸人には、「ダイアン」

「キングコング」

「南海キャンディーズ」

現在も活躍している、そうそうたるメンバーが
同期芸人にいるようです。
学生時代
中山功太さんは、小学2年生の時に
「吉本新喜劇」を観た事がきっかけで
お笑い好きになりました。
高校時代、吉田戦車さんの漫画「伝染るんです」
に影響を受け、漫画家になりたいと思いました。

インタビューで当時の様子を語っています。
たまたま小さいときに、お父さんが「伝染るんです。」
を買ってきたんですよ。
レベルの高いものに幼いときに触れたというので、
興奮しました。
吉本新喜劇のときもそうですし、
ダウンタウンさんを見たときもそうでした。
引用:ライブドアニュース
しかし、絵が思うように上達しなかったので、
漫画家の夢は諦めたとの事。
そして、子供の頃から好きだったお笑いを目指し、
高校時代は友達とコンビを組んで、
文化祭などで漫才を披露していたそうです。
芸人生活スタート

高校卒業後は進学せず、
NSC大阪校に進んだ中山功太さん。
高校時代にコンビを組んでいた友達と
一緒にNSCに入ったのですが、
オーディションに全く受からなかったので、
早々にコンビを解消。
その後はピン芸人として地道に活動していきます。
そして、2009年R-1グランプリで
ダークホースと呼ばれていたものの優勝を果たします。

中山功太さんは、R-1グランプリ出場にあたり、
禁酒をするなど、自分を追い込んで挑戦したといいます。
人気、知名度ともに絶頂を迎えようとしていた2009年、
東京進出の話も出ていました。
しかし当時、大阪でのレギュラー番組や舞台があった為、
すぐに東京進出はできなかったそうです。
東京進出失敗

R-1グランプリ優勝の翌年2010年、
ようやく東京進出することになりました。
しかしこの時にはブームは過ぎ去り、
仕事のオファー減少。
完全に、東京進出のタイミングに失敗したのです。

東京に来たものの、芸人の仕事がなかった中山功太さん。
週5日のアルバイト生活がスタート。
自身のネタやキャラクターに悩みながら、
低迷の日々が続きます。
半年間の改名

2013年1月1日、中山功太さんは
自身のTwitterとブログで改名を発表。
その名は「コウタ・シャイニング」
この突然の改名には理由がありました。
2012年9月に行われたイベントがきっかけ。
中山功太さんのトークライブで、
お笑いコンビ「麒麟」の川島明さんと大喜利で対決する事に。

その勝負は、「負けたら芸人引退」という条件の元で行われたのです。
そんな過酷な条件が付いた理由は、
トークライブ以前の飲み会の席にありました。
中山功太さんが、先輩であり尊敬する川島明さんに、
喧嘩を売ってしまい、川島明さんから、
「負けたら芸人やめろ」と言われたからです。

大喜利対決は中山功太さんが負け。
約束通り、「芸人」は辞めなければなりません。
しかし事務所から存続の声もあり、芸人ではなく、
タレント、「コウタ・シャイニング」として
再スタートすることになったのです。
「中山功太」に戻る

2013年1月に「コウタ・シャイニング」に改名しましたが、
その後、約半年程度で「中山功太」に戻す事になります。
芸名を戻したきっかけは、
お笑いコンビ「ナインティナイン」矢部浩之さんの一言。

2013年7月に放送されたテレビ番組
「アウト×デラックス」にて。
矢部浩之さんは親身になってアドバイスします。
中山でいったら。オレは中山功太がええと思う。
変えてほしいな、番組にもう1回呼んでほしいんやったら。
引用:デイリー
矢部浩之さんの言葉を受け、
中山功太さんは、
「本日をもちまして、私、コウタ・シャイニングは、
本名の中山功太に戻します」と、再改名を宣言。
約半年程度の「コウタ・シャイニング」期間。
残念ながら、その出来事も特に世間の話題には
なりませんでした。
「おもんない」が口癖

中山功太さんは、自身の過去を、
2019年放送のテレビ番組、「しくじり先生」で語っています。
芸人としての月収が22円だった事もあり、
さらに500万円の借金も抱えていたそう。
どんどん生活が荒んでいった原因は、
仕事がない以外に、中山功太さん自身にあったようです。
同期芸人の中では、「エリート」「実力者」と
言われ続けていた中山功太さん。
その為、自分の事を天才的に面白い人間だと勘違いし、
目にする芸人すべてに対して、「おもんない」と
否定していました。

テレビ番組「しくじり先生」では、
「おもんない」と思っていた「三大おもんない」を告白。
「東京の芸人」「R-1に出た芸人」「俺のネタで笑わない客」。
まわりを否定し続けた結果、
自分が一番「おもんない」芸人になっていたと話しています。
「三大おもんない」芸人をぶっちゃけた中山功太さん。
のちのインタビューで詳しく語っています。
「東京の芸人」とは、その番組だけにハマるネタをやる人ばかりだったので、
他の番組に出ているのを見ると面白いと思わなかったんです。
「R-1に出てた芸人」と「僕のネタで笑わない客」は、
まあ、それくらいの気持ちじゃないと、
ピン芸人として生き残っていけないという意味だったと思います…
これは自分のことを天才的に面白いと勘違いして、
調子に乗っていた時代のことですよ(笑)。
引用:ニューアキンドセンター
周りを否定するばかりで、
自分の事を客観的に見られなかった中山功太さん。

今ではしっかり自分を見つめ、
地道に芸人の活動を続けているようです。
売れなくなって芸能界を去っていく
芸人も多い中、中山功太さんは
芸人の道を突き進みます。
そこにはどのような想いがあるのでしょうか。
芸人を辞めたいとは思わない

迷走しながらも芸人を続けてきた中山功太さん。
借金を抱えながらアルバイト生活をしていても、
それでも芸人を辞めたいとは思わないそうです。
意外と言ったらあれですけど、自信があるんですよ、きっと。
今、YouTubeで企画モノだけでなく生配信もやっているんですが、
チャット欄には「好きや」とか「面白い」って、
言ってくれる人がたくさんいて。
~中略~
頭の回転も人より早いかもしれないって思うし。
芸人に向いているんだと思います。
引用:ニューアキンドセンター
中山功太さんの歌ネタ「芸人やめてぇな」は、
YouTubeで人気のシリーズ。
「芸人やめてぇな」と歌い上げているものの、
それは本心ではありません。
何度か「芸人やめてぇな」と頭をよぎったことはあるものの、
心からは思っていないようです。
自身を振り返り、反省できるようになった中山功太さん。
再び脚光を浴びる日が来るといいですね!
中山功太の実家は金持ちで間取りが27LDKKK?

中山功太さんは、あまり知られていませんが、
昔、「お坊ちゃま芸人」として
テレビに出演していた事もあります。
実家が豪邸

中山功太さんは大阪府大阪市出身。
子供の頃は、近所で知らない人はいないほどの
とてつもないお坊ちゃまだったのです。
5歳のときに住んでいた一軒家が規格外の豪邸。
4階建てで、間取りはなんと、「27LDKKK」
部屋27か所、トイレ4ヶ所、お風呂2ヶ所、
車はベンツ等4台を所有し、メディアルームやサウナまで!
玄関でチャイムが鳴っても、玄関にたどり着くまでに、
2、3分かかる程の広さだと言います。
日本にもこんな豪邸があったとは驚きです。
現在は中山功太さんの実家はなくなりましたが、
想像するに、贅沢な子供時代を過ごしていたのしょうね。
誘拐されかけた

中山功太さんは幼い頃、
実家は近所では有名なお金持ちだった為、
誘拐されかけた事があるそうです!
実家がお金持ちやったんで、誘拐をされかけたんですよ。
玄関で、チャイムを鳴らした瞬間に、
マスクとサングラスの男に抱えられて。
それからは、過保護に育てられました。
引用:ライブドアニュース
車に乗せられた瞬間に、近所の人が助けてくれので、
間一髪のところで命拾いしたと言います。
この誘拐未遂事件があった事を機に、
中山功太さんは過保護に育てられたようです。

さらに、中山功太さんの父親も、海外で誘拐された事があるそう!
お金持ちで有名だった父親だったので、
身代金目当てで事件にあったとの事です。
親子そろって事件に巻き込まれるとは、
相当なお金持ちだった事が想像できますね…
中山功太の家族構成は?母は芸人で父はどんな人?

子供時代はセレブな生活を送っていた中山功太さん。
家族が気になりますよね。
両親ともに、なかなかの個性的な人物らしいですよ!
家族構成
中山功太さんの家族構成は、
父親、母親、兄の4人家族です。
残念ながらお兄さんに関する情報は
見つかりませんでした。
しかし、両親に関しては色々な事が分かっています。
母親は芸人
中山功太さんの母親は、
なんと吉本興業所属の芸人なんです!
芸名は、「アケミ・シャイニング」

60歳を過ぎてNSCに入り、ピン芸人として活動。
同期には、「8.6秒バズーカー」がいます。

芸人になった理由は、
息子がテレビに出れてないというのを心配し、
勇気づけようとしたのがきっかけだそう。
アケミ・シャイニングさんは、
戦隊モノのももレンジャーが持ちネタ。

中山功太さんと、親子でテレビに出演することもあります。
さらに、親子漫才も果たしていました。

優しい母心とは言え、自分が芸人になるとは、
かなりのバイタリティですよね!
親子の仲睦まじい姿、とても素敵です♪
父親は元会社社長

中山功太さんが子供の頃、
実家がお金持ちで豪邸に住んでいた事が公表されています。
近所でも有名なお金持ちだったのは、
父親が会社社長だったからです!
父親は中国でソファーベッドの会社を経営。
大成功を収めた為、裕福な生活を送れたようです。
しかし、2006年に業績悪化で倒産。
中山功太さんのお兄さんは父親の会社に入社していたのですが、
倒産してしまったので、現在はソファーベッドの通販業を
行っているそうです。

父親は現在、中国で新たにソファーベッドの会社を
立ち上げ頑張っているとの事です。
「ソファーベット」のおかげで
裕福な生活を送れていた中山功太さんですが、
「ソファーベット」にあまり良い印象は持っていない様子。
ソファーベットって、それを作ったおじいちゃんやおやじのおかげで、
今の僕があるんですけど、あんなに使い勝手の悪いものは無いと思うんです。
「帯に短し、たすきに長し」だと思うんですよ。
ベッドにしたときに、ソファーのゴリゴリが当たりますし、
ソファーにしたときは、背もたれが短いんですよね。
ほんとにアカンと思います。
引用:ライブドアニュース
経営者の父親は、中山功太さんが芸人になる事を
反対はしなかったそうです。
中山功太さんが2009年R-1グランプリ優勝した時、
親戚や友人から200件近く「おめでとう」メールが届いた中、
父親だけは違ったそう。

「調子に乗るなよ」
父親は芸人になる事を反対はしなかったものの、
大変な世界だと分かっていたので、
応援しながらも厳しい声をかけたのでしょう。
父親は中国で会社を経営しているので、
母親のアケミ・シャイニングさんは、
日本で好きな事にまい進できるのですね!
まとめ
最近はテレビで見かけることが少なくなったピン芸人、中山功太さんですが、
時間が経って改心した事が分かりましたね。
YouTubeなどSNSがきっかけでブレイクすることも多い昨今。
今後の中山功太さんに期待しましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました!
