さて、今回は2018年と2019年の
「Rー1ぐらんぷり」ファイナリストの
お笑い芸人河邑ミクさんについて
色々と調べていきたいと思います。
では、
『河邑ミクの学歴は?高校大学はどこ?』
『アルバイト三昧などエピソード4選』
について、どうぞ最後までご覧ください。
【河邑ミクの学歴】高校はどこ?

河邑ミクのプロフィール
まずはプロフィールのおさらいです。
- 名前:河邑ミク
- 本名:河邑美空(読みは同じ)
- 生年月日:1994年8月8日
- 出身地:大阪府
- 血液型:A型
- 身長:168cm
- 出身:松竹芸能タレントスクール
- 事務所:松竹芸能
- 活動時期:2015年 –
本名は河邑美空(かわはらみく)さんです。
芸名については読み方は変わらず、
名の部分をカタカナに変えた、河邑ミク(かわはらみく)さんです。
ご両親がハワイに新婚旅行へ行った際に見た、空が美しかった!のが由来で、
美しい空という字を使い「美空」(みく)と名付けたそうです。
身長が168㎝とモデルさんのようですね。
お母さんも働いていたそうですが、
お父さんの浪費癖の影響で幼少期から貧しい生活を送ってきたそうで、
弟さんが生まれるまで家賃が3~4万のアパートに家族三人で住んでいたそうです。
その時の様子をこう語っていました。
”「お金がないから、子供の頃の遊びは白い紙に丸をいっぱい書いてツイスターゲームしたり、食事はもやし炒めばかり。カップラーメンをわざと長く待って麺をのばして食べるとか。シャワーはないのでゾウさんのジョーロを使わされて、私はずっとバスグッズだと信じてました。」”
引用:日刊ゲンダイDIGITALより
ご自身はこれが当たり前だったから
貧乏だとは感じていなかったようです。
15歳位から他のご家庭との差に気づき始めたようです。
その後高校を卒業し、2013年4月から『松竹芸能』の養成所に入所し、
養成所卒業後『松竹芸能』に所属し、
『8分音符』というコンビを組むも相方と解散しています。
現在では「清純派芸人」をコンセプトにピン芸人となりました。
関西ローカルの情報番組に出るなどして
関西方面での知名度を上げていきます。
2017年には、下半期に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」に出演し、
お楽役を演じていました。

同年、『女芸人No.1決定戦 THE W』に出場し、
準決勝まで行きました。

2018年と2019年には『R-1グランプリ』に出場し、
二年連続で決勝進出!!!
現在では関西のみならず、全国放送にも出演する機会が増えています。
高校はどこに通っていた??

さて、プロフィールが長くなってしまいましたが、
本題のどの高校に通っていたか!!!
について調べて分かった事を見てみましょう。
2021年1月24日に、ごっきん×河邑ミク同窓トーク『綿棒出てくるプリクラ機(仮)』
というトークイベントをLOFT9 Shibuyaで行ったようです。
女性2人組のロックバンド『yonige』のメンバーのごっきんさんと
高校時代の同級生だったことが判明します。

このことから、河邑さんはごっきんさんと同じ
『大阪府立北かわち皐が丘高等学校』
(おおさかふりつきたかわちさつきがおかこうとうがっこう)
という高校に通っていた事が分かりました。
全日制の男女共学の高校で、公立の学校です。
偏差値が45と真ん中より少し低めでした。

そしてこの高校は実は、
”大阪府立東寝屋川高等学校と大阪府立四條畷北高等学校を統合し、2008年に普通科総合選択制の高等学校として開校した。”
引用:Wikipediaより
このように統合していた高校です。
ちなみに元大阪府立東寝屋川高等学校の卒業生には、
- 『FUJIWARA』の原西 孝幸(はらにし たかゆき)さん
- 『FUJIWARA』の藤本 敏史(ふじもと としふみ)さん
- 舞台俳優の小多田 直樹(おただ なおき)さん
などがいらっしゃいます。
元大阪府立四條畷北高等学校には同じく卒業生には、
- 俳優やお笑いタレントのぐっさん(山口智充)さん
- 実業家の木下浩行さん
- お笑い芸人の稲田 直樹(いなだ なおき)さん
がいらっしゃいました。
まだWikipedia上に河邑ミクさんのお名前が載っていない為、
いつかここに記載されるようになるのではないでしょうか。
【河邑ミクの学歴】大学はどこ?

【河邑ミクの学歴】大学はどこ?
結論から申し上げますと、大学には進学しておりません。
中学校の頃に一緒に漫才をしていた子と
高校時代から「吉本に入ろう!」と話していたらしいのですが、
高校3年生の3月に「やっぱり芸人になるのやめる。」と言われたそうです。
その元相方は当時女子高だった為、
大学に行って恋愛をしたいと言っていたそうです。
一方、河邑さんは芸人になると決め、
養成所探しをし、その当時学割が効くと言われ、
大阪にある『松竹芸能タレントスクール』に通うことになります。
その為、高校を卒業後すぐに
『松竹芸能』の養成所に入っており、
大学への進学はされていません。
『松竹芸能養成所』とはどんな所?

”100年経っても通⽤する基本⼒と
媒体に応じたアレンジ⼒を⾝につける。”引用:松竹芸能養成所より
総合口座と、選択科目を合わせた
必須項目1科目と選択科目3科目の
カリキュラムを実施しているそうです。

画像にあるように、選択科目には
ネタ見せや、バラエティ基礎、タレント応用、演技Ⅰ、
リポート・ナレーション基礎、SNS・動画配信基礎の6項目の中からの選択です。
月に一回現役で活躍されている方を招きお話を聞ける機会なども
取られているそうです。
そんな養成所時代の事を
ご本人と同じ時期に養成所に入られていた方で
インタビューに答えられていましたので載せさせて頂きます!

”ウドンくん:
まず東京組と大阪組、それぞれ行きのバスの中でひたすら大喜利、エピソードトーク、一発ギャグをやるんです。で、合宿所に着いたらバスの中で出た回答を使った東西対決が待っていて、「そういうことか」と。ベストアンサー同士を戦わせるっていう。
ハッピー遠藤:
なぜか東西相撲大会もあったよね(笑)。
河邑:
あったあった! リレーとか長縄とか、体力系も。”
引用:お笑いナタリーより
罰ゲームだらけなバラエティ演習のための合宿が行われたりもしていたそうです。
養成所を卒業後もプロフィールでも記載させて頂いていたように
『松竹芸能』に所属されており、
お笑いコンビ『8分音符』として活動していました。

『サンスポ』のインタビューで、「デビューはいつ?」と問いかけられ、
ご本人の口からこのように語られていました。
”「13年に松竹芸能タレントスクールに入って、8歳上の女性の相方と出会って2年ほどコンビを組みました。現在、相方は一般人になっていますが、『辞めたい』と言われたときは、しようがないと思いました」”
引用:サンスポより
一度は2人組で活動されていたんですね!
ピン芸人になられてからは、
2020年10月に放送を終了した、関西ローカル番組の
大阪・朝日放送 情報番組『おはよう コールABC』でレギュラーとして

2016年3月4日から2020年3月までの約4年間出演し、
リポーターとしても務められていました。
2018年の『R-1グランプリ』では史上最年少のファイナリストでした。
他にも朝ドラに出演したり、
松岡茉優さんに似ている事から
本人公認でモノマネをしたりなどして、

有名になってきています。
もしかすると、中学時代から「大学進学」という文字が
あまり頭になかったのかもしれないですね。
河邑ミクの学生時代のエピソード4選

小学生時代のエピソード
小学生の時に『吉本新喜劇』や、
お笑いコンビ『ダウンタウン』を見ていたそうです。
また、当時から流行していた『M-1グランプリ』を見て
お笑いコンビ『南海キャンディーズ』を好きになったそうで、
「お笑い芸人になりたい!」と思った。と語られていました。
小学生の頃の自分の事をインタビューでこのように答えられています。
”――どんな子どもだったんですか?
河邑:今、ネクラみたいな感じなんですけど、小学生のときはすごいネアカやったんですよ。”
引用:Break×CoffeeBreakより
中学生時代のエピソード
続きのインタビューで中学生時代のご自身の事も話されていました。
”――今、ネクラではないとは思いますが(笑)。
河邑:でも、中学生くらいで男性を意識し始めて「静かな方がモテるんやな」って思い始めて……。”
引用:Break×CoffeeBreakより
ちょっとおしとやかな女性になろうとしていたようです。
ただ、中学生の時には、漫才をしていたみたいで、
あまりモテなかったのだとか。。。
仲の良かった子と二人で、
『メロンパン』という名前のコンビを組み、
文化祭と修学旅行で漫才を披露していました。
この漫才の評判がよく、中学時代の先生にも
「お笑い芸人になりたい。」と三者面談で話した所、
応援してくれたそうです。
この時から既に、お笑い芸人になる道を歩み始めていたのですね。
高校生時代のエピソード

高校生で18歳の時には当時付き合っていた彼が、
誕生日プレゼントに指輪をくれたそうで、
「こんな高級な物をもらったら私も彼のために、絶対喜ぶ物をプレゼントしよう!」
と決めたようです。
節約生活を送ってきた河邑さんは
当時自身が貰ったら嬉しい物を考えた結果、
お米10キロを持って彼の部屋を訪ねました。
その結果思い切り引かれてしまったそうです。
18歳の可愛い女の子がお米5キロずつを両手に抱えて
プレゼントに持ってくるなんて、
当時の彼は想像もしてなかったでしょうしね。
さらに、18歳の頃はモヤシ炒めだらけのご飯が嫌で
アルバイトを3個掛け持ちしていた事もあるようで、
そのお給料の半分を家に入れていたそうです。
スクール代などもご自身で貯められていたのかもしれませんね。
このように学生時代からずっとお笑い芸人を目指し、
頑張ってこられていたようですね。
社会人になってからのエピソード
2018年5月に日刊ゲンダイのインタビューでこんな事を語っていました。
”「父は成人式の時に「財布買ってあげる」と言ってくれた。でも、それきり3年経っていまだ買ってくれません。」”
引用:日刊ゲンダイDIGITALより
浪費家のお父さんは中々買ってはくれないようです。
テレビに出るようになってからは、
「その服、暗いで!!」と注意を受けることもあるのだとか、、。
その他にも、こんなことも語っており、
”「父が「R―1に優勝して賞金(500万円)もらったらちょっとだけちょうだい」と言ってきたので、「絶対ヤや!」って言いました。」”
引用:日刊ゲンダイDIGITALより
河邑さんも中々、お父さんとのお金関係が大変そうですね。
幼少期からびっくりするようなエピソードが沢山あって、
これからも、もっとテレビでお話を聞ける日が来ることを
楽しみにしています。
まとめ
今回は、お笑い芸人河邑ミクさんについて調べてきました。
松岡茉優さん似のかわいいルックスと共に、
徐々に活躍の場を広げられている河邑さんを、
今後どのような場所でみられるのか、今後の活動に期待が膨らみました。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

