今日は仕切りに定評のあるハイヒールリンゴさんについて、
『旦那の死因は?』
『夫は元ラジオ大阪の関係者で馴れ初めは?』
について、調査しました。
ハイヒールリンゴの旦那が死去!死因は?

- 名前:ハイヒールリンゴ
- 本名:美村美紀(みむらみき)
- 生年月日:1961年8月9日
- 出身地:大阪府枚方市
- 最終学歴:京都産業大学経営学部経営学科
- 職業:お笑いタレント、MC
- 趣味:プロレス観戦、家庭菜園、旅行
- 所属事務所:吉本クリエイティブエージェンシー
ハイヒールリンゴさんの旦那さんの美村篤洋(みやまとくひろ)さんは、
2022年6月13日に74歳で亡くなり、
葬儀告別式は18日に大阪市内のお寺で家族葬で営まれました。
死因については非公表だそうですが、
闘病生活や介護生活の情報などはなかったので、
突然亡くなったのでは?と思われます。
考えられる突然死といえば、
- 急性心筋梗塞
- 急性心不全
- 脳出血
- くも膜下出血
- 急性大動脈解離 など
ただ持病はあったそうなのでその持病が拗れた可能性もあります。
美村篤洋さんは糖尿病を患っていたという情報もありました。
ハイヒールリンゴさんは毎週土曜日に生放送のラジオの出演がありましたが、
出演を欠席し、モモコさんが単身出演しました。
生放送を終えた後モモコさんはブログを更新しました。
毎日いろんなことがある
楽しいことも嬉しいことも
悲しいことも辛いことも…
乗り切って行きたい
乗り切って生きたい
人生を楽しくするのは自分次第
出来ることをして頑張るぞ
引用:ハイヒールモモコオフィシャルブログ
モモコさんの思いが“乗り切って生きたい”の一文に感じられますね。
モモコさんとリンゴさんの旦那さんは、
“相方の旦那”というだけではなく、
“仕事相手”としての関係性もあったので、
モモコさんも辛いことでしょう。
また報道ではリンゴさんはかなり憔悴しているとありましたが、
最愛の旦那さんを亡くされたのですから当然かと思います。
ハイヒールリンゴと旦那の馴れ初めは?

ハイヒールリンゴさんは吉本総合芸能学院(NSC)に
ラジオDJコースを希望し入学しましたが、
DJコースが人気がなかったため漫才コースを選び、
1982年にモモコさんを吉本のスタッフに紹介されてハイヒールが結成されました。
同期にはダウンタウンやトミーズ、ジミー大西さんなど、
そうそうたるメンバーの中で1983年にデビューし、
「女子大生と元スケバン」として一躍人気になりました。
そこから1995年6月当時、
ラジオ大阪に勤めていた美村さんと
交際4ヶ月でスピード婚されました。
当時のリンゴさんはとにかく結婚したくて、
いろんな人に「結婚して!」と言っていて、
まともに相手にしてくれたのが美村さんだったそう。

手前の白髪の方が美村さんです。
当時リンゴさんは34歳、旦那さんは48歳で、一回り違う年の差婚。
リンゴさんは初婚、旦那さんは再婚とのことでした。
なんと交際から約4ヶ月で結婚!
交際のきっかけも交際期間も
なんだかスピード感に溢れるエピソードですね!
二人ともとんでもない決断力ですが、
そこから現在まで仲睦まじく暮らしていたことを考えると、
リンゴさんの突拍子もない「結婚して!」作戦も案外悪くなかったんだな、と思いますね。

ご結婚後はハイヒールのネタの中に
一回り年上の旦那さんをネタにしたりして登場していました。
プライベートでも二人で秘湯巡りなど仲睦まじい関係を築いていらっしゃいました。
当時の女芸人は“結婚なんてできないもの”と思われていましたが、
リンゴさんもモモコさんも結婚して幸せな家庭を築いています。
またその容姿やファッションなどで人気となり、
また政治経済などの知識も豊富でハイヒールは新しい女芸人の姿を確立しました。
ハイヒールリンゴの夫は元ラジオ大阪の関係者で会社を経営?

リンゴさんの旦那さんの美村さんは、
交際開始当時は近畿広域圏を放送対象地域としている
ラジオ局のラジオ大阪の報道部次長をされていました。
美村さんはラジオ大阪を退職後、
広告代理店の株式会社エムズを経営されていました。

事業内容は、
PR、広告、プロモーション事業の企画、制作、運営、著作権管理、キャスティング、ラジオ、TV、CM、企画、制作、デザイン、イベントの企画、制作、運営
とありました。
その経歴を活かし主にテレビ局やラジオ局と取引をしていたようです。
リンゴさんとの間に子供はいませんのでこの会社がどうなるかはわかりません。
社員さんたちが美村さんの意思をついでくれると願いたいですね。
まとめ
最愛の旦那さんを亡くされてかなりお辛い状況ではあると思いますが、
モモコさんとこの辛さを乗り越えて、
また明るくテレビにラジオにご活躍されることをお待ちしています!




