八百万の神々と、
たたらの地 出雲へ
はじめて島根を訪れた地が「出雲」だった。
その後、映画『たたら侍』の撮影でも、出雲や雲南、奥出雲へは何度も訪れている。出雲縁結び空港を降りたらすぐに感じる澄んだ空気。この旅でどんな「ご縁」に巡り合えるのだろうか。さぁ、まずは出雲の神様へご挨拶に。
はじめて島根を訪れた地が「出雲」だった。
その後、映画『たたら侍』の撮影でも、出雲や雲南、奥出雲へは何度も訪れている。出雲縁結び空港を降りたらすぐに感じる澄んだ空気。この旅でどんな「ご縁」に巡り合えるのだろうか。さぁ、まずは出雲の神様へご挨拶に。
「たたら」は大正時代に一度廃れたのだが、昭和8年頃から終戦まで軍刀を造るために復活。戦争が終わると武器生産は終わったが、日本刀の材料となる「玉鋼」を造るために昭和52年に日刀保たたらを再び復興させたのだった。その日刀保たたらの火入れの日に特別に訪れることができた。
実は、映画『たたら侍』の撮影に入る前に、木原村下(技術責任者)さんにお話を伺っていた。その時に「村下は、たたらでの鉄づくりを3度失敗したら腹を切る」と聞いたことがある。たたらに関わる町や人々において、鉄づくりの失敗は命取り。その責任の重さが伝わってきたことを覚えている。
3日3晩、夜通し作業する「たたら」作業。それが、目の前で始まっているのだ。村下は今日のためにコンディションを整え、それを支える人たちの気迫もすごい。五感を使って火の色や高さ・風の音を聞き、鉄の溶け方を見ながら作業をしている。
ふっと上を見ると、炉の正面には神棚が置かれていた。鉄づくりの成功を祈り神棚に手を合わせて、日刀保たたらを後にした。
たたら製鉄で得られる和鋼のうち最も高品質な部位のことで、現在日本で唯一奥出雲の日刀保たたらで、伝統的な製鉄法によって作り出され、全国の刀匠に供給されている。
「奥出雲たたらと刀剣館」に着いた。この資料館は奥出雲のたたら製鉄の歴史や、たたらの地下構造が展示されている。
鉄をつくる技術は約1500年前の古墳時代後期に日本に入り、独自に発達したという。米を作るのと同じように鉄を造り、税として鉄や、すきを納めたそうだ。そのうちに殿様が直轄領にするために鉄奉行を置き、その取立ての厳しさに反乱を起こすこともあったという。その後、江戸時代に松江藩の管轄となり鉄の産地として奥出雲地方は伸びていった。最盛期はこの中国山地一体で、全国で使う鉄の8~9割を担っていたそうだ。
刀剣館では刀匠小林一門による日本刀作刀鍛錬実演も行われている。真っ赤に燃えた鉄の固まりを幾度も打ちながら、細く長く伸ばしていくのだ。「鍛錬する」とか「鉄は熱いうちに打て」とは、まさにこのこと。たたらも刀剣づくりも「手」をかけることにより、より良いモノが生まれてくる。村下や刀匠の「手」を見せてもらったが、その肉厚で火傷をした痕が全てを物語っているようだった。
江戸時代に鉄づくりを通して松江藩と深い関わりがあった鉄師の一つ絲原家を訪れた。16代目当主に記念館を案内していただいた。
「絲原家は江戸時代のはじめの頃に広島の方面から山を越えて島根に来ました。なぜ鉄作りをしたかといいますと、松江藩が斐伊川水流系のかんな流し(砂鉄を採る手法)を解禁したからです。それが江戸時代中期頃になると、鉄づくりに松江藩が深く関わることとなり、9軒に営業権を絞られ、最終的には「鉄師」と言われる絲原家、そして田部家、櫻井家の3軒となったのです。絲原家で鉄を造っていたのは初代から大正10年の13代までの約280年間。その後は山林業を営んでいます」と話してくれた。
展示されている鍛冶場の道具は映画『たたら侍』にも貸し出されたとか。また明治頃の現場の集合写真などの貴重な資料がたくさんある。絲原家の山内図を見ると、鉄を造る工場と絲原住宅が近い距離にあり、経営者と従業員とが密接な関係にあることが伺われる。思っていた以上に江戸時代から製鉄技術や仕組み構築され、その地域が鉄師の大きな影響力で整っていったのだと分かった。
さて、次は高殿様式の建物が日本で唯一残っている「菅谷たたら」へ行って見よう。
「菅谷たたら山内」の中に「菅谷高殿」がある。ここは鉄師である田部家が所有していて、1751年に建てられ170年間も操業していた国の重要有形民族文化財である。
真ん中に炉があり、向かって左側と右側が木炭置き場、中央が原料の砂鉄置き場になっている。たたら1回の操業に16~7名が従事し、3日3晩の連続作業。木炭を13t、砂鉄を12t使うが、3tのケラ(鉄)しかできない。しかし、その鉄ができるまでに、山林で木を切って木炭をつくり、一方では砂鉄を採るなど、多くの人力と手間と時間と思いが込められている。鉄の結晶は、山内で働く人たちにとって本当に「宝」だったと思う。
こうして2日間巡った出雲地方。歴史や文化もさることながら、それぞれの町で人に話を聞いていると、本当に皆さんが暮らしている町を愛し、この町に生まれたことを大切にしていると感じた。そして日本人に宿る職人魂の素晴らしさを再認識できた旅だった。また必ず来よう、出雲へ。