小林直己が巡る、出雲の本物。

八百万やおよろずの神々と、
たたらの地 出雲へ

はじめて島根を訪れた地が「出雲」だった。
その後、映画『たたら侍』の撮影でも、出雲や雲南、奥出雲へは何度も訪れている。出雲縁結び空港を降りたらすぐに感じる澄んだ空気。この旅でどんな「ご縁」に巡り合えるのだろうか。さぁ、まずは出雲の神様へご挨拶に。

神話の舞台 稲佐いなさの浜へ

旅のはじまりは「稲佐の浜」。日本海の荒波が押し寄せる白い砂浜にポツンと小さな島がある。厳かに鳥居がまつられ、神秘的な雰囲気が漂っている。

ここは「国譲り」を行った神話の舞台。オオクニヌシノミコトは、目に見える世界をアマテラスオオミカミに譲り、目に見えない世界を自らつかさどった。そして国を譲る代わりに建ててほしいと願った神殿が「出雲大社いづもおおやしろ」だと言われている。

「目に見えない世界」の話はまだ続く。毎年、旧暦の10月10日には全国の八百万の神々が、この稲佐の浜からお越しになり「神迎かみむかい神事」が執り行われる。この旧暦10月を普通なら「神無月」と呼ぶが、出雲地方では「神在月」。古くからの伝承と神事、暦が結びついているのに驚きだった。

そして八百万の神々が出雲大社にお越しになると「神議かみはかり(縁結び会議)」が行われる。これは恋愛だけではなく、人や仕事などあらゆる「ご縁」について話し合われるそうだ。その会議の場が稲佐の浜の近くにある「上の宮」で執り行われる。

神話から脈々と出雲に根付く神事や習慣や文化が、この稲佐の浜からはじまっていたのだった。

縁結び神社「出雲大社」へ再訪

出雲大社を訪れたのはこれで2度目。最初は映画『たたら侍』の出演が決まった時に、錦織良成監督とHIROさん、そして出演者の皆と制作祈願に参拝した。その時と同じ松林が続く参道を歩く。凛とした空気、そして神聖な雰囲気が漂いながらも、その中に何か力強さを感じ、背筋がピンと伸びる。

出雲大社は平成20年から5年の歳月をかけ、60年に1度の「遷宮」が行われている。遷宮とは神様の御殿や装飾品などの「衣食住」を清らかにつくり改めること。新しくなった出雲大社では、神様の力がさらに強まり、出雲の地もリフレッシュするという。確かに、ここに来ると自分の中の“感覚”を広げてもらえる気がする。

本殿に向かい「二礼四拍手一礼」で参拝。出雲に再び来れたこと、そして日頃の感謝の気持ちを神様にお伝えした。

古代出雲を紐解く博物館

出雲大社の東側には古代出雲歴史博物館がある。ホールでは、2000年に出雲大社境内の地下から発見された「柱」がお出迎え。これは約800年前の本殿を支えていた物らしい。杉の大木3本が抱き合わさり1つの大きい柱となっている。これが9カ所ある柱の1つだとは驚きだ。

「出雲大社の現在の本殿の高さは約24mありますが、かつて神殿は48mあったと言われています。この柱(今の柱の3倍)が発見されたことで、巨大神殿説がほぼ実証されたと思います」と学芸員さん。そして「これがその巨大神殿の模型です!」と指さす先に、長ーい階段の向こうにそびえたつ神殿の姿があった。本当にこんなに高い神殿を古代人がつくったのか? 信じられないと思うのと同時に、ワクワクしてきた。近年、神社仏閣を巡る若い人が増え、神様と人との距離が近いと感じていたが、この模型を見ると、昔むかし神様は手の届かない、高い、遠い、尊い存在だったかもしれないと思う。

そして、さらに奥に進むとこの博物館のメーンとも言える部屋へ入った。壁一面のガラス張りのケースには、358本もの銅剣がずらりと並んでいる。

「荒神谷遺跡から弥生時代に作られた358本の銅剣等が発見されました。これまで全国では30本しか発見されておらず、その数よりはるかに上回る数が荒神谷の1カ所で見つかりました。これは歴史を塗り替えるほどの大発見となったのです!」と学芸員さんの解説にも力が入る。確かに、騒然と並んでいる銅剣や銅鐸を目の当たりにすると、足が立ちすくむ。

「古代出雲」それは神話の中の物語ではなく、実際に存在し独特の文化を創り出していた。言葉にしがたい古代出雲のロマンを感じた。

悩みに来る寺「鰐淵寺がくえんじ

この旅で「もう1度行きたい!」とリクエストした所が山深い「鰐淵寺」。ここは映画『たたら侍』の最初の撮影で、しかもロケ地だった場所。その時に話してくださった住職の言葉が忘れられないのだ。“ここは悩みにくる場所です。ここで、たくさん悩んでください”と。それから「悩む時は鰐淵寺に行こう! 普段は余り悩まずに『ま、いいか!やってみよう』」、そう思える一つのきっかけとなったのだ。

久々に会った住職はいつものペースで話をしてくれた。「この冬の山は何もないように見えますが、このモミジの木を見てください。枝の先が赤いでしょ。雪が木に積り太陽の光が差すと、山全体がピンク色に染まるのですよ。本当に感動します」と。

そう、このさりげなく、きれいな空気感に触れると悩みなどちっぽけなものになってしまうのだ。

そして続けて住職はこう話す。「ここは『自然がいっぱいで良いですね』と皆さん言われますが。本当はそうではなく、この石段もかつて造られたものですし、紅葉がこうやって大きくなったのも昔の人が植えてくれたからです。この景観は自然ではなく昔の人たちからのプレゼントなんですよ」。

シンプルでありながら、真髄をつく住職の声が今日も心に染みる…。また来よう!住職に会いに。

松江のシンボル、国宝「松江城」

黒くてカッコイイ、そして力強い!それが松江城を見た第一印象。豊臣秀吉とともに戦国時代の激動を歩んだ堀尾吉晴ほりおよしはる公によって建てられた。平成27年に天守が国宝となり、今日も観光客で賑わっている。

松江城は現存する12天守の中の1つで、その中でも国宝は松江城を含む5城だけ。今回、国宝に指定された1番のきっかけが「祈祷札」の発見だそうだ。祈祷札には「慶長16年」とハッキリ書かれており、さらに柱に打ちつけられていた跡が残っていたことで築城時期がわかり、国宝指定の決め手となったらしい。当時は全国で築城ラッシュで、限りある木材などの資源を巧みに再利用して、松江城が建築されたと言う。

そう言えば「島根の人は自然との共生や古代から続く文化を大事にしている」と聞いたことがある。この堀尾吉晴公の築城も、その精神を受け継いでいるのだと感じた。

古き良き伝統が息づく城下町

松江城の周りを散策しに堀端ほりばたの「塩見縄手しおみなわて」を歩く。老松並木おいまつなみきと武家屋敷の古い町並み、そして堀川を巡る遊覧船は風情がある。

松江は京都、金沢につづく3大菓子処の一つ。出雲式の日本庭園で松江城を見ながら和菓子と抹茶が楽しめる松江歴史館内の「喫茶きはる」に立ち寄ることにした。

お抹茶を飲むのには「作法」がいるのでは?と少し身構えていたところ、和菓子の名工・伊丹二夫さんがやさしく語りかけてくれた。「普通にお茶を飲むように、リラックスして味わってください。ここでは作法は関係ないですから」と。そして伊丹氏がつくった“わらびもち”をいただく。求肥(ぎゅうひ)も餡(あん)もやわらかく口の中で溶けていく。そして渋いお抹茶を飲むと、ホッと心が落ち着いた。

「このわらびもち、おいしいでしょ。『餡』に特徴があり、独自のつくり方をしています。」と名工。「その作り方は秘密ですか?」と尋ねると「職人として宝の持ち腐れはいやなので、いくらでも教えますよ。和菓子の伝統を守るためには良いものを弟子に教えていくべきです」。名工の言葉にハッとした。こうした職人さんの思いや、松江藩松平7代藩主松平治郷まつだいらはるさと不昧公ふまいこう)が庶民にお茶を広めた心が、季節のしつらえ、お茶を楽しむ時間を、松江の生活に息づかせているのだった。

神話の時代から侍の時代へつながるロマンを感じ、旅の1日目は終わった。

[1] 稲佐の浜:出雲市

[2] 出雲大社:出雲市

[2] 出雲大社:出雲市

[2]出雲大社 上の宮

[3]古代出雲歴史博物館:出雲市

[4] 鰐淵寺:出雲市

[4] 鰐淵寺:出雲市

[4] 鰐淵寺:出雲市

[5] 松江城:松江市

[5] 松江城:松江市

[6] 塩見縄手:松江市

[6] 武家屋敷:松江市

[6] 武家屋敷:松江市